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この記事は私がまとめました

rulliさん

1938年、アルゼンチン生まれ。

【主な所属クラブ】
1962ー1965  リーベル       80試合70得点
1966ー1968  インデペンディエンテ 72試合45得点
1969ー1972  ナシオナル      56試合61得点

アルゼンチン・リーグ優勝  1回
          得点王 4回(1962、63、66、67)

ウルグアイ・リーグ優勝 & 得点王 3回(1969、70、71)

1971年、コパ・リベルタドーレス、クラブW杯 優勝 & 得点王


【アルゼンチン代表】

1961ー1967   25試合24得点

コパ・アメリカ1967 準優勝、得点王

彼は、本格派のストライカーだった。
体が強く、典型的なセンターフォワードだった。

身長174センチだが、180以上ある選手のように
見えるぐらい、体から屈強さを感じさせる選手だった。

写真、右が、アルティメ。
   左が、サンフィリッポ。

彼は、プロ最初のクラブ、アタランタ時代の
得点成績も凄く、
1959ー1961 「67試合50得点」である。

ちなみにアタランタは、小クラブである。
彼は、21才から23才まで在籍した。

彼は「歴史的、名FW」だが、プロ・デビューは
21才でとても遅い。

彼ほどの名選手が、10代でデビューできなかったというのが、信じられない話である。

彼は24才で、ビッグクラブのリーベルプレートに
移籍した。
彼ほどの名選手が、
「24才でビッグクラブに入団した」というのは、
かなり遅い入団である。

彼は、リーベルで活躍して、2回得点王になった。

彼は、リーベルプレートで2回、得点王になると、
同じくビッグクラブの、インデペンディエンテに
移籍した。
ここでも、2回、得点王になった。

彼は、インデペンディエンテで、
自身初の「リーグ優勝」も果たした。
彼は、この時代、アルゼンチン・ナンバー・ワンの
FWだった。

写真、中央が、アルティメ。
ボカの選手達と写っている。

彼は「インデペンディエンテで2回、得点王」に
なり、優勝もすると、今度はブラジルの
バルメイラスに移籍した。
1968年、1年間だけ、在籍した。
在籍期間は短かかったが、57試合49ゴールで、
大活躍した。

彼は、アルゼンチン代表で、
「25試合24得点」である。
とんでもなく高い、得点率である。

得点率は「0.96」である。

メッシ、バティストゥータが、
アルゼンチン代表FWで、歴史上、1位、2位と
評価されていると思うが、はっきり言って、
アルティメが「CF」をやった方が、得点できる
だろうと思う。
彼は、とんでもなく過小評価されている選手だと
思う。

W杯1966は、善戦したが、
地元イングランドに準々決勝で、0-1で敗れた。

彼は、この大会、3ゴール(4試合)した。

彼はW杯でも活躍した。

写真、中央が、アルティメ。
ベネズエラ戦で、ヘディングでゴールを決めた
瞬間の場面。

彼は、W杯翌年、「コパ・アメリカ1967」に
参加した。
そして準優勝に終わった。
しかし、彼はチームのエースで、5得点(5試合)
して、得点王になった。

彼は、1969年、30才で、
ウルグアイのビッグクラブ、ナシオナルに移籍した。

ここで、「3年連続、得点王」になった。

本当に、アルティメは、どこに行っても得点王に
なる選手である。

30才を過ぎても、変わらず得点王になった。

彼は、実は、とんでもなく凄い選手だと思うが、
サッカー界では、驚くほど話題にならない選手である。

彼の得点成績を見れば、明らかに凄い事が分かる。

メッシ、バティストゥータより、代表では得点率が
遙かに高い。

私は、詳しく調査をしてないが、
これは、恐らく「アルゼンチン歴代1位レベル」
の得点率だろう。

アルティメは「コパ・リベルタドーレス1971」で
得点王になり、ナシオナルは優勝した。

これは、ナシオナルにとって、初の「南米優勝」だった。
アルティメは、ナシオナルに栄光をもたらした。

写真、中央、白いユニフォームが、アルティメ。
得点を入れた瞬間。

アルティメは、この年、
欧州王者、ギリシアのパナシナイコスと
インターコンチネンタル・カップを戦い、
第1戦、アウェーで1-1の試合で、得点をし、
第2戦、ホーム、2-1で勝った試合で、
2得点した。

彼は、ナシオナルの全得点(3得点)を、
1人で決めた。

ナシオナルは、これで初の「世界王者」になった。

アルティメは、またしてもナシオナルに栄光を
もたらした。

アルティメは
1. プロ・デビューがとても遅く、アルゼンチンの
  ビッグクラブで活躍が、24才からだった。

2. 欧州でプレイしていない。

3. アルゼンチン代表デビューが遅い、それで
  試合数も少ない。

4. W杯で3点も取ったが、アルゼンチンは
  準々決勝で負けてしまった。

などの事が重なり、彼は得点をして実績があったが世界のサッカーでスポットを華々しく当てられる
チャンスを逸した選手である。

しかし、代表の得点率を見れば分かるが、
メッシ、バティストゥータより遙かに上である。
そして、彼はほぼどこに行っても得点王になった。

彼は、1980年に、
「アルゼンチン・サッカー協会の官僚体質を批判
するコメント」をした為に、
協会から睨まれ、業界から排除されてしまった。
この発言について、アルゼンチン協会から、
裁判まで起こされた。
彼は1980年に監督をしていたが、これがきっかけの1つでクビになり、それ以後、どこのチームからも監督オファーが来ず、
40年、アルゼンチン・サッカー界から干されている状態である。
彼ほどの名選手が、監督をする事もなければ、
マスコミからも干されている状態である。

彼は、現役時代、凄い得点率で、得点をしたが、
それに見合った評価は受けず、引退後も、
全くふさわしい扱いを受けていない。

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