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rulliさん

ペルー代表の「歴代エース・ストライカー」を紹介して行きます。

1908年生まれ。

【所属クラブ】
1927ー1943  アリアンサ・リマ  


【ペルー代表】
1927ー1938  11試合6得点

彼は、身長が198センチあった。

そして、オーバーヘッド・キックを得意としていた。

写真、中央が ビジャヌエバ。

写真、左から2人目、跳んでいるのが、
ビジャヌエバ(白いユニフォーム)。

W杯1930では、ペルーのエースとして、
戦った。
しかし、ルーマニア、ウルグアイと戦い、
1-3、0-4で連敗し、グループ・リーグで
敗退した。
ビジャヌエバは、無得点に終わった。

1913年、ペルー生まれ。

【主な所属クラブ】
1931ー1953 ウニベルシタリオ・リマ 180試合156得点


ペルーリーグ 優勝  6回
           (1934、39、41、45、46、49) 
       得点王 最多 7回
           (1932-34、38、40、42、45)


【ペルー代表】
1935ー1947   32試合24得点

「コパ・アメリカ 1939」 優勝
             得点王 & MVP受賞

「ロロ」とは、彼の愛称である。

ロロは、ペルー・リーグで
「得点王、最多、7回」だ。
彼が引退して、66年経つが、
未だにこの「得点王回数」は破られていない。

ロロは、ペルーの「国民的英雄」である。
「ペルー史上、最高のサッカー選手」
と評価する人は依然として多い。

1930年代に活躍した選手は、あまりに古過ぎて
どの国でも後世のスター選手の方が人気が出て、
取って代わられ、忘れ去られる場合がほとんどだ。
しかし、ロロに限っては、依然としてペルーでは
英雄として称え続けられ、あまり忘れ去られていない。

写真、右、ロロ。
   左、トロ。


2人共FWで、両国の大スターだった。
ラウール・トロは、チリでは、
「国で、最初の偉大なストライカー」
として、位置づけられている選手だ。

ちなみにチリ代表、トロは、
この「1937年、コパ・アメリカ」、
(アルゼンチン大会)で
7得点(6試合)で得点王になった。

一方、ロロは、2得点(4試合)した。
初戦ブラジル戦、第2戦、ウルグアイ戦で
得点した。
しかし、怪我の為、3戦目、4戦目は、
「交代・途中出場」でフル出場できず、無得点で
終った。
ペルーはロロの怪我もあり、最下位に終わった。

ロロは7得点(4試合)の大活躍で優勝した。
「初戦、エクアドル戦」では、ハットトリックした(5-2で勝利)。
「2戦目、チリ戦」、「3戦目、パラグアイ戦」
で、2得点ずつした
(3-1、3-0でそれぞれ勝利)。
最後のウルグアイ戦、ロロは無得点だったが、
ペルーは2対1で勝利して、
見事、「4戦、全勝」で初優勝した。

この大会は、アルゼンチン、ブラジル等
「5カ国、参加辞退」したので、
ペルーにとって楽な大会になった。

ロロは、エースにふさわしい活躍をして、
この優勝で、「国民的英雄」になった。

写真、中央が、ロロ。
4人のアルゼンチン代表選手に囲まれる人気ぶりである。
さすがスターだ。

ロロは、
「コパ・アメリカの通算得点数が、歴代3位」
である(2019年、現在)。
成績は、15得点(24試合)だ。

彼は、この1941年の時は、「歴代1位」だった。
後世の選手2人に追い抜かれた。
だから、当時、彼は「南米、歴代1位」だったので、非常に尊敬されていただろうと思う。

1934年生まれ。

【所属クラブ】
1952ー1958 アリアンサ・リマ
1959-1960 リーベル・プレート
1961ー1963 ヒムナシア・ラ・プラタ


【ペルー代表】
1953ー1959 26試合14得点

写真、一番左が ウアキ。

彼の愛称はHuaqui(ウアキ)だった。
由来は、彼の母親が、子供時代に、サンチェスを
そう呼んでいたからである。

ウアキのポジションは、左ウィングだった。
彼は、この後、アルゼンチン・リーグに挑戦し、
成功した。

彼は、「1955年、コパ・アメリカ」では、6得点(5試合)の活躍で、
得点順位が、2位だった。

ペルー代表は、1955年大会は3位だった(2勝2分1敗)
優勝はアルゼンチン(4勝1敗)、2位はチリ(3勝1分1敗)。
ペルーは、アルゼンチン戦は引き分けたが、チリに4-5で敗れた。
宿敵、チリ戦で、ペルーは
後半38分にウアキのゴールで4-4に追いついたが、
1分後、後半39分に失点し、4-5で負けた。

1929年生まれ。

【所属クラブ】
1947ー1959  ウニベルシタリオ  210試合115得点


【ペルー代表】
1953ー1959  25試合11得点

引退した”ロロ”・フェルナンデスに丁度代わるように、
ウニベルシタリオでは、スターの座に着いた。


テリーも、先輩の”ロロ”・フェルナンデスと同じく、
他国のビッグクラブ、ボカ・ジュニアーズ等
からオファーを受けたが断った。
彼は、ペルー国内でキャリアを終えた。
テリーもロロと同じで、ウニベルシタリオへの「愛」が
強い選手だったのかも知れない。

写真、左から2人目が テリー。

「コパ・アメリカ1957」では、
5得点(6試合)し、エースとして活躍した。
ペルーは4勝2敗で、大会3位の好成績だった
(優勝はアルゼンチン、2位がブラジルだった)。

1940年生まれ。

【主な所属クラブ】
1959ー1963  スポルティング・クリスタル
              72試合56得点

1966ー1967  パルメイラス 47試合22得点 
            
1968ー1975  スポルティング・クリスタル
             170試合71得点


【ペルー代表】
1962ー1970   37試合11得点

彼はW杯1970で、センターフォワードを務め、
4試合2得点で、活躍した。

写真、右が ガジャルド。
   左は CB、チュンピタス
       (ウニベルシタリオ所属)

1949年生まれ。

【主な所属クラブ】
1966ー1972 アリアンサ  175試合117得点
1974-1977 FCポルト   85試合48得点
1979ー1983 フォート・ローダーデール
            139試合65得点


【ペルー代表】
1968ー1982  81試合26得点

コパ・アメリカ1975  優勝

クビジャスは「ペルー史上最高の選手」と
評される事が多い。

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