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米軍の東京大虐殺の戦争犯罪。2時間で10万人の一般市民を焼き殺した残虐性。アメリカ軍の大虐殺

東京大虐殺では、2時間で10万人の市民が焼き殺されました。アメリカ軍が行った戦争犯罪の残虐性を歴史に伝えていかなくてはいけません。

更新日: 2019年06月13日

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misukiruさん

◆2時間で10万人を焼き殺した。

日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって、民間人に大きな被害を与えた。

1945年(昭和20年)3月10日の未明、約300機のB29爆撃機が、無差別爆撃を決行しました。現在の江東区や墨田区など木造建築が連なった下町を中心に、33万発もの焼夷弾を投下。

東京空襲の一般民間人の被害全体についてみると、東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越えます。確認された死者の遺体数は約10万5400人になります。負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸です。

◆巨大ガス室と化した東京

アメリカ陸軍航空隊司令官のアーノルド大将は、このような言葉をメモに残しています。 手加減することはない。戦争とはもとより破壊的で、非人間的かつ無慈悲なものである

焼夷弾の集中豪雨の前には、バケツリレーどころか消防車も何の意味も果たせず、むしろ消防車も火炎(かえん)に包まれ、消防士もろとも丸焼けになってしまいました。

火災は北風や西風の強風もあって、火災は目標地域をこえて、東や南に広がり、本所区、深川区、城東区の全域、浅草区、神田区、日本橋区の大部分、下谷区東部、荒川区南部、向島区南部、江戸川区の荒川放水路より西の部分など、下町の大部分を焼き尽くしました。罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人でした。

◆東京の建物・文化財が消失

3月10日未明空襲後の浅草松屋屋上から見た仲見世とその周辺

逃げ込んだコンクリート建ての頑丈と思われた建物も、周囲からの熱で建物内部の可燃物が燃え出し、逃げ込んだ人々の服や荷物も熱によって自然に発火するというありさまでした。

◆アメリカ軍による戦争犯罪

一般市民しかいないことがわかっている家屋や集落を、大砲で砲撃して殺したとしても、戦争犯罪です。

◆民間人を標的とした虐殺

もっぱら下町地域への大量殺戮で、民間人たる庶民層から「戦意の喪失」を目的にしたことは明白である

当時の日本ではほとんどの建造物が木造だったため、焼夷弾攻撃は致命的なほどに有効です。つまり、計画段階において、都市のせん滅とそこに住む一般市民の虐殺を目的としていたのです。

M69焼夷弾のナパーム剤で炎上した日本式家屋は、日本の消防隊を正確に再現した消防隊の装備では容易に消火できず、日本に最適の焼夷弾と認定された。

◆4、5月にも続いた大虐殺

4月、5月の山の手大空襲は、爆撃の規模や焼失面積は3月10日の大空襲を上回るものであり、山の手の大空襲やその他の空襲を含めて後期の東京空襲で約8000人が亡くなりました。規模の割に死者が少ないのは、逃げやすい地形であったこともありますが、3月10日の惨状を見て、人員疎開が進んだこと、消火をしないですぐ逃げるようになったことも影響しています。

◆参考リンク

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