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コローニと、バブル期F1のテールエンダーたち

このページはコローニを中心に、バブル期F1のテールエンダーを紹介するページです。

更新日: 2019年09月19日

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本の図鑑さん

複雑怪奇、魑魅魍魎、内部のゴタゴタ、資金難。
テールエンダーたちの苦闘の後には何が残る?

1988年

87年のF1にスポット参戦していたコローニが、88年からフルエントリーを開始。
予め88年規定で製作のFC187をFC188にモディファイ。8戦で決勝に進出もノーポイントに終わった。
当時、ドライバーのガブリエル・タルキーニが、『レーシングオン』誌を介して日本での仕事を探している。コローニのギャラはかなり安かったらしい。

NA化を前にF1に進出したスクーデリアイタリア。
開幕戦はマシンが間に合わず、F3000のダラーラを走らせて急場をしのいだ。
ルーキーチームながら、シーズン後半にはDFZ勢最速の評価を獲得した。

こちらも新規参入組のユーロブルン。
ブルンの名が付いているが、チーム運営はイタリアのユーロレーシングが行っていた。
しかし、わずか1年で両者の関係は悪化。ブルンは活動休止中のブラバムの買収を考えるように。

前年NA2冠を獲得したティレルの88年型。
最悪レベルのハンドリングと評されたマシンで、ストリートコースのデトロイト、モナコで5位入賞のジョナサン・パーマーは驚異。
新人ジュリアン・ベイリーの予選落ち10回も止む無し。

ミナルディは一足早くターボからNAに移行。更に89年に向けて、スバル・モトーリモデルニ製F12エンジンの計画が進行していた。
第6戦・アメリカGPで、参戦4年目にして初の6位入賞を''ミスター・ミナルディ''、ピエルルイジ・マルティニが記録。

4度の入賞を果たしたルーキーシーズンから一転、ノーポイントでシーズンを終えたラルース・ローラ。
デザインは、後にロータス・107の設計を担当するクリス・マーフィー。

88年最大の問題作。燃料タンクをエンジンの前後に分割配置したリジェJS31。
ルネ・アルヌー、ステファン・ヨハンソンと実績のあるドライバーを擁しながら予選落ち多発。デザイナーのミッシェル・テツはチームを追放された。
ただモータースポーツは、こういった奇抜なアイデア、珍車もあってこそ面白い訳で・・・。

南フランスの片田舎、ガソリンスタンド裏のファクトリーからやって来たAGS。従業員15人の小さなチーム。
クリスチャン・バンダープレイン設計のJH23は意外にも競争力が高く、カナダGPでは10番グリッドを獲得した。
当初はMGN製W12エンジンを搭載予定だったが、開発の遅れにより搭載を諦めることに。・・・以下90年のライフL190に続く。

ターボエンジンに拘ってきた、西ドイツのザクスピード。
フォードの直4ベースとはいえ、小規模チームにターボエンジンの自社開発は荷が重すぎた。

1989年

2台体制になった89年のコローニ。どこにそんな資金が?
ロベルト・モレノは、フェラーリのテストドライバーと国際F3000の掛け持ちの1年の後、F1に復帰した。

もう一人のレギュラードライバーは、ピエール=アンリ・ラファネル。
モナコGPでキャリア唯一の決勝進出を果たした。

第6戦・カナダGPで、前年AGSから移籍したバンダープレインが設計したC3が登場。
F188より明らかにスマートになった!

バンダープレインだけでなく、チームマネージャーもコローニに引き抜かれてしまったAGS。
チーム創設者のアンリ・ジュリアンはチームを売却し、新たにシリル・ド・ルーブルがオーナーに。
JH23Bで戦ったシーズン前半こそ良かったものの、89年型のJH24は全く競争力がなく、1度も決勝に進めなかった。

リジェは、レースビジネスを知り尽くした男・マーチのロビン・ハードから、マーチ881のミッションとリアサスペンションを購入しJS33を開発。

晩節を汚し続けたルネ・アルヌーのカナダGP。最後のシーズン、最後の入賞。

F1初参戦、ランボルギーニエンジン搭載のラルース・LC89。
開幕直前に共同オーナーのディディエ・カルメルが、妻を射殺し逮捕される大事件が発生。
パトロンを失ったラルースは、突然資金難に見舞われた。

ミナルディはシーズン序盤は前年型を使用。
M188Bは、スバル・MM製F12搭載のM189のデビューまでの繫ぎと思われたが、M189はDFRを搭載してサーキットに現れた。

イギリスGPでPQ(予備予選)組転落を奇跡的に回避したミナルディ。ポルトガルGPでは僅か1周ながら、マルティニがラップリーダーに!
スバルMM・F12の搭載計画は、気が付けば自然消滅。
しかし、スバル・MMのF12プロジェクト自体が消え去った訳ではなかった。・・・以下90年のコローニC3Bに続く。

オゼッラはテールエンダー歴10年を迎えた。
86年以来の2カーエントリーだったが完走1回、PQ落ち21回と散々な結果に終わった。

体力作りに余念のない、オゼッラのニコラ・ラリーニ。

ブルンはブラバム買収が破談に終わり、89年もユーロブルンとしての活動が続いた。
ER188はエンジンがDFZからジャッドに変わっても不振は続き、新加入のグレガー・フォイテクは一度も決勝に進めないままチームを去った。

ユーロブルンは西ドイツGPから新型、ER189を投入。ドライバーもイタリアGPからオスカー・ラッラウリが復帰した。
しかしER189は決勝進出どころか、一度もPQを突破出来ずに89年シーズンを終えた。

新規参入チームながら、横置きミッション搭載マシンを用意してきたオニクス。
PQ落ち16回を数えるが、シーズン後半ポルトガルGPでステファン・ヨハンソンが3位表彰台を獲得した。
89年開幕時、トップチームでもウィリアムズしか装備していなかった横置きミッションを、ルーキーチームが備えていたことは驚きだった。

89年限りでF1から撤退したリアル。
2年の活動期間中、予選落ちは計27回。その全てが89年のことだった。
レギュラードライバーのクリスチャン・ダナーとフォルカー・ヴァイドラーの2人は、90年から全日本F3000に転向した。

このベルギーGPで、AGSからリアルに移籍したラファネル。
移籍によりPQ回避に成功したが、決勝進出には届かず。

NA化に合わせて、ヤマハと手を組んだザクスピード。
グスタフ・ブルナー設計のシャシーはスマートだったが、ヤマハのV8・5バルブエンジンの性能不足から、決勝進出2回の惨劇に見舞われた。
89年限りでF1から撤退。リアルも撤退したため、F1からドイツ系チームが消滅した。

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