F1での活動継続のピンチに立ったラウダであったがマールボロBRMに売り込みをし、BRMへ持参金を持ち込む条件で1973年シーズンのF1シートを確保した。同年、資金稼ぎのために参戦していたBMWアルピナ・ツーリングカーでの活動も、引き続き延長することとなった。

1973年
BRMではマシンの信頼性に問題があり、入賞はベルギーグランプリでの5位のみだったが、各グランプリでリタイアするまでは速さを見せていた。特にモナコグランプリでフェラーリをリードする走りをしたことでエンツォ・フェラーリがラウダに注目。また、BRMで1レースだけチームメイトとして一緒に走り、既にフェラーリへの移籍を果たしていたクレイ・レガツォーニからの推薦もあった。夏には、翌1974年からフェラーリの監督となるルカ・ディ・モンテゼーモロを代理として、フェラーリが正式にラウダを勧誘。BRMとの契約をクリアーし移籍が決まった。そして、BMWアルピナ・ツーリングカー参戦もこの年で終了となった。

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