1977年

シーズン前のテスト・プログラムからラウダは除外されていたが、第3戦南アフリカグランプリでシーズン初勝利を上げ、チームの体制を再び自分に取り戻す。また第11戦ドイツグランプリ、第13戦オランダグランプリをそれぞれ勝利し、シーズン3勝、2位6回と安定した速さを見せ第15戦アメリカ東グランプリにて2度目のワールドチャンピオンを確定した。
しかし、前年からの経緯によりフェラーリからの離脱を決意していたラウダは、ゴードン・マレーのデザインした、サーフェイス・クーリング(表面冷却)と呼ばれるブラバム・BT46に惹かれ、ブラバムの代表であるバーニー・エクレストンとサインを交わし翌年からの移籍が決定した。すると、ラウダと共にブラバムへ移籍したいと希望したメカニックがフェラーリから即時解雇され、ラウダはこれに激怒。アメリカ東グランプリ後に2戦を残してフェラーリを去った。この際に引き止めたいエンツォ・フェラーリと去りたいラウダとの間では、白紙の小切手を前にした生々しく、激しい口論も発生している

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オーストリア出身のレーシングドライバー、ニキ・ラウダのプロフィール・人物・家族・映画

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