1985年
ラウダのマシンにトラブルが多発し、チャンピオン争いから脱落。自身が前年に予言したとおりプロストが初のF1ワールドチャンピオンを獲得した。第10戦オーストリアグランプリでこの年限りでのF1引退を発表。ラウダは「昨年の私のモチベーションはアラン・プロストだった。彼とワールドチャンピオンシップで闘い、破る事だった。今年はプロストがワールド・チャンピオンを勝ち取ることを確かめたいと思った。1986年を走るための新鮮な動機を見つけようとしていたが、見つからなかった。もし今年がよい成績だったとしても同じ決断をしていたと思う」と語った[2]。次戦オランダグランプリでF1通算25勝目(1985シーズン唯一の優勝)を果たし、これがラウダのF1最後の優勝となった。同グランプリは予選10番手スタートながら終盤プロストの追い上げを巧みにブロックし0秒232の微差で抑え込んで勝っている。最終戦のオーストラリアグランプリでは一時トップを走行したが、ブレーキトラブルでリタイアとなりレーサーとしてのキャリアを終えた。ラウダはその10日後にはボーイング737の機長養成トレーニングに姿を見せ、新しい人生を開始していた。

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オーストリア出身のレーシングドライバー、ニキ・ラウダのプロフィール・人物・家族・映画

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