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自由な走りをどこまでも追い求めた日産自慢の往年の車・リバティ

ステーションワゴンのような形をしたミニバン・リバティはまたの名をプレーリーとも言い、海外進出も果たした実績もある。なおリバティは英語で自由、気ままという意味があり、プレーリーはどこまでも広がる大草原を示し、自由を追い求めてどこまでも突き進むという姿勢が見られる。

更新日: 2019年05月24日

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なお顔発は日産だけではなくプリンス自動車の協力も加わり、かつての日産の車で使われた部品やベースを流用した。

cobbyjpさん

颯爽と走る姿がカッコいいワゴン型のミニバン・リバティは斬新な印象が強かった

82年に他社に先駆けて乗用ミニバンとして登場した初代プレーリーは、そのあまりにも時代を先取りしすぎたコンセプトで、ユーザーに受け入れられないという苦悩を味わう(初代も左右スライドドアで、センターピラーがないため、剛性はともかく、使いやすさは抜群だったが、商用車の変形くらいにしか思われなかった)。88年登場の2代目も吹っ切れず、不運な運命をたどる。94年にオデッセイが登場して日本でもミニバンの地位が確立し、それに応じてビッグマイナーも行われたがウォークスルーもできない基本設計では、結局流れに乗れないままとなった。

初代 M10型は最大で8人乗車でき、全体がシャープな印象でまとまっていた

リバティの原点は1982年にさかのぼり、デザインは直線でびしっとまとまった精悍な印象が強く、開発はプリンス自動車の拠点が使われ、オースターJX及びスタンザFXをベースにした構造を使い、座席はベンチシートを3列並べて最大で8人乗車可能だった。スペースの使い道がよくなるようトレーリングアーム式サスペンションや横置きのトーションバー・スプリングを加え、床を低くしている。ちなみに登場した頃はミニバンという分類がなかったので、CMでのキャッチフレーズは「新しいタイプのセダン」となり、エンジンは直列4気筒 OHCのCA18S型とE15S型が搭載され、リムジンのように仕立てたものや商用車として開発されたものもある。展開はアメリカやにも行き届き、スタンザワゴンまたはマルチの名で販売された。発展はどんどん進み、4WDもある特別仕様車の開発やエンジンの変更、耐久性の向上にも力を入れ、最後の特別仕様車・サイクルスポーツバージョンで締めくくった。

プレーリー/リバティ(1982~2004) 初代、2代目、海外車は「プレーリー」だが、3代目(1998)の国内販売車のみ「リバティ」に改名。今でいうミニバンの先駆け的存在だが、当時は「ミニバン」が一般的でなく、居住スペースの広いセダンとして扱われた。(COBBY) pic.twitter.com/o4ZKYXtYdy

2代目 M11型になるとエクステリアが大幅に変わり、あらゆる改善が加わった

1988年になると、ブルーバードのベースを生かした2代目リバティが誕生した。エクステリアデザインは前回のような精悍さは全くなく、丸みを帯びていてより本格的なミニバンを極めており、2.0LのCA20S型から直列4気筒 2.4L OHC KA24E型にエンジンが進化して、広々とした居住空間を確保できた。なおサスペンションは前回と異なる前後共に同じものだが、徐々にリアサスペンションが変わり、ホイールベースもわずかだが拡張できた。乗車定員は最大7人まで可能で、中にはRV車仕様やエアロパーツが加わったグレードもあるので、対象だった子供のいる家族から好評を受け、販売台数は一気に伸びた。その頃はホンダ・オデッセイや三菱・シャリオグランディスが発売されていて、そこにプレーリー及びリバティが登場すると、ミニバン市場で熾烈な争いを見せつけた。そしてCOBBYによると、2代目の勢いは留まることを知らず、助手席エアバッグ&ABSの標準装備化、車内の抗菌化、UVカット断熱グリーンガラス採用などの様々な工夫を加えた。

3代目 M12型からは名前がプレーリーリバティへと変わり、とうとう歴史に幕を閉じる

今度は車名をリバティまたはプレーリーリバティへと変え、パワートレインとサスペンションを強靭にした。トランスミッションはCVTまたは4速ATとなり、エアロパーツを備えたハイウェイスターも登場した。エンジンは直列4気筒 DOHC SR20DE型のみだったが超-低排出ガス認定を受け、サスペンションは前後で異なり、ついには車椅子の人にありがたい福祉車両や日産自動車70周年記念特別仕様車も登場して、2004年に22年の歴史に幕を下ろすことになった。

【459】日産 リバティ 実質的にはプレーリーの3代目。5ナンバーサイズの7人乗りミニバンには変わりない。両側スライドドアやウォークスルーを採用し、使い勝手が向上した。当初はプレーリーの派生車種として「プレーリーリバティ」の名で販売していたが、途中のマイチェンでプレーリーの名が外された。 pic.twitter.com/ZurxDMfuJD

リバティのプラットフォームを共有する日産の車種は、こんなにある

車を構成する上で欠かせないリバティのプラットフォームは、日産がかつて発売してきた車と共有していた。まずはセダンのサニーやバイオレットリベルタ、ハッチバックやステーションワゴンもあるオースター、スタンザ、そして長く続いたブルーバード、消防局の車にも生かされたアベニールが挙げられる。これだけあるということは、いかにも信頼できるプラットフォームだと実感する。

今日は昭和末期の日産レアカー2台も見掛けた。サニーカリフォルニア。 pic.twitter.com/zh7iw5ZZrt

フェローマックス 実働19000キロの上物だけど販売わずか1年の「バイオレットリベルタ」の足マットに目が輝いてしまったw pic.twitter.com/0JNiY3LQz6

またの名をプレーリーとも言い、さらには世界各国に進出した実績もある

リバティはまたの名をプレーリーとも言い、日本近隣諸国への輸出も多かった。その事業は積極的に行われ、日本よりもはるかに広いアメリカやカナダが輸出先を占めていて、到達した後はその大地を思いっきり駆け抜けていた。

新しいファミリーカー像を提案した 「初代・日産プレーリー」 乗用車ベースの成り立ちは 商用車を基本とした、多人数車が多い中で とても新鮮に映りました。 ところで、このモデル最大の売りである 「両側センターピラーレス」のスライドドアですが 経年劣化はどうだったのか、 気になるところです。 pic.twitter.com/HRryvlfHbD

皆さんこういうの好きそう。 日産・プレーリーの商用モデルであるNV ヘッドライトはお約束の規格型角目 プレーリーにも貨物登録があったんだ #あの頃の日産車 #日産自動車 #80年代 pic.twitter.com/KBMG3cyhj4

22年の歴史が終わってしまっても、同じ日産のミニバンであるラフェスタに受け継がれた

自由を求めて前進したリバティは、惜しまれつつ終了してしまったが、その雄姿は日産のミニバン・ラフェスタに受け継がれた。この車もなかなかかっこよく立派なミニバンを務めて力強い走行が可能だったが、たった2代で終わってしまい、今度は自社の戦力・セレナに受け継がれた。

C27セレナ レンタカー屋でSグレード、試乗車でハイウェイスタープロパイロットに乗った。 歴代で1番静粛性に優れてワンクラス上のような感じ。装備や室内の質感もかなり良くなって日産がそこそこ力を入れてM/Cしたんだなって思う。もっさり感も26よりはだいぶ改善されました。 pic.twitter.com/FEd63eHlGh

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