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「10代で得点王になった天才選手」。 久保建英より凄い10代、13人。

日本人って、サッカーの歴史を知らなさ過ぎじゃないですか? テレビ番組は低レベル、雑誌は知識不足。        本当にろくでもないです。TV番組は芸能人と選手がサッカーしたり、飯を食ったりばかりです。アホです。       だから、私が日本人に歴史を教えたいと思いました。

更新日: 2019年09月20日

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この記事は私がまとめました

サッカー界で、『強豪リーグ』で10代で得点王になった天才選手を紹介します。          「年齢が若い順」に紹介して行きます。順位に続いて書いてある年齢は、「得点王になった日」です(得点王になったシーズンの、リーグ戦が終了した日)。第13位まで、紹介します。多分、この13人だけだと思います。

rulliさん

はっきり言って
日本には「天才」はまだ1人も現れてないと
思います。
「天才」が現れない、異常国です。

小野伸二と久保建英がなんで天才扱いなんですか?
違うやろ。
「10番」で考えたら、点取るのド下手過ぎだろ。


日本マスコミが、国民の無知を利用した
「天才宣伝、商売」
(天才ではないが、「天才」と放送すれば
視聴率を稼げ、雑誌が売れる)
を止めさせるべく、
私が、日本人にサッカーの歴史をきちんと
教えます。
(雑誌「Number」等は、本当に酷い。
お前ら本当に歴史を学んだのか? と思う
超低レベルです)


日本の皆さん、「天才」なめとるやろ。
わしが今から教えるけん、よう聞かんね。

第1位、ペレ 17才と65日。               [1957年、サンパウロ州リーグ得点王]              ≪ プロ・デビュー1年目から得点王 ≫(その後、9年連続、得点王)

1940年、生まれ。

【所属クラブ】
1956ー1974 サントスFC  638試合619得点
1975ー1977 ニューヨーク・ コスモス


サンパウロ州リーグ 得点王 最多 11回
(1957-65 [9年連続]  & 69、73)
(注:17才から9年連続。怪我で記録が途絶えた)


【ブラジル代表】
1958-1971  92試合77得点(歴代1位)

《この77得点は、48年経っても破られていない[2019年現在〕》。

【主なタイトル】
W杯優勝 3回(1958、1962、1970)

クラブ世界一 2回(1962、63)

ブラジル王者5連覇(1961ー65)【サントスFC】

16才でデビューして、
プロ1年目から得点王になるなんて
ペレは、本当に「天才」ですね。
日本人はTBSの『消えた天才』とかいうバカ番組を
見て生きているので、本当の天才を知らない。
だから頭のとてもおかしい民族だと思います。
本当の天才は、プロ1年目で得点王で、
プロ2年目、17才で
(日本だと高校3年生、初夏)
W杯を主役で優勝してます。

ペレは、メッシというW杯優勝できない凡才とは、
違いますね。
その後、ペレはプロ・デビュー1年目から
「9年連続、得点王」の記録を作りました。
やっぱり、メッシとは格が大きく違いますね。

写真は、試合前
左がペレ(16才頃)、右が父親、ドンジーニョ。
まだ保護者同伴であった。

ペレは、「トルネオ・リオ・サンパウロ」
(リオとサンパウロ、2州中で、最強チームを決める大会)に参加し、公式戦デビュー。
「第1節、サンパウロ戦(1957年4月26日)」を
3-1で勝利し、1得点した。

また「サンパウロ州リーグ」では
1年目で得点王。
41得点(38試合)も決めた。
17才の誕生日の2カ月後、リーグ戦が終了した。

彼はまだ子供だったがブラジルで一番うまかった。
天才少年ペレは、「リーグ戦1年目から得点王」
という前代未聞の大活躍をした。
「最年少得点王記録」は未だに破られていない。

写真は、1958年12月にペレが
「18才で、ブラジル史上シーズン最多得点記録、66得点(46試合)」を作り、
サントスFCで優勝した時の記念写真。

この年は半年前の6月、W杯でも主役で優勝していた。
ペレは18才にして既に
「ブラジル史上最高の選手」になっていたのだ。

18才と言うと普通の若者はようやく下部組織からプロ・デビューする年齢だ。
しかし、ペレは既にW杯優勝し、
「シーズン史上最多得点記録」を作り、
ブラジル史上最高の選手になっていた。
彼は本当に他の選手とは次元の違う選手である。

写真、左が ペレ。
   右が 監督のシルビオ・ピリロ。

この日、強豪アルゼンチン代表とホーム、
リオ・デ・ジャネイロ、マラカナン・スタジアム
で対戦をした(観客、8万人)。
試合は、1-2で敗れた。
ペレは、後半から途中出場し、
後半31分に同点ゴールを決めた。
しかし、その1分後、ブラジルは失点し、
1-2で敗れた。

ペレは、代表デビュー戦から得点を決めた。
「ブラジル代表、最年少得点記録」を作った。
16才と257日。
未だに破られていない。
この活躍で、A代表に定着した。

この日から、ペレの「ブラジル代表の伝説」が
始まった。

写真、右 ペレ。
   左 GK、キャレ・スベンソン(SWE)

決勝戦で、ペレは後半10分、45分に2得点し
ブラジルは、5-2で地元スウェーデンを下し、
悲願の初優勝を成し遂げた。

ペレは、W杯1958では「チームのエース」で
チーム最多の6得点(4試合)を挙げた。

準々決勝、ウェールズ戦では
1-0勝利の決勝点を挙げた。

準決勝、フランス戦では「ハットトリック」した。

ペレは大会前、怪我をし、調整が遅れ、
GLの第1戦、第2戦は欠場した。
しかし、GL第3戦から先発すると、
決勝トーナメントでは、「3試合連続ゴール」の
大活躍をした。
怪我がなければ、もっと活躍をしただろう。

W杯1958で
「大会得点王」にはなれなかったが
ペレは「チーム得点王」で、
ブラジル優勝の立役者となった。
ちなみに、大会得点王は
ジュスト・フォンテーヌ(フランス代表)だった。
彼は、13ゴール(6試合)を決めた。

ちなみに、
ペレのブラジル代表の得点数は77得点だ。
釜本邦茂のFIFA基準の得点は、53得点だ。
しかし、日本サッカー協会は、FIFA基準を否定し「JFA基準」という独自基準を作り
22点水増し、
「釜本、75点」を公式記録と発表した。

釜本を偉大に見せる為、同時代のペレと2点差まで
記録水増し、日本国民をだます工作を行っている。
本当は、三浦が1位だが2位にされている。

第2位、ホナウド・ナザリオ、17才と 247日。        [1994年、ミナスジェライス州・リーグ得点王]           ≪プロ2年目で、得点王≫

1976年、ブラジル生まれ。

【所属クラブ】
1993-94 クルゼイロ  47試合44得点
1994ー96 PSV     46試合42得点
1996ー97 バルセロナ  37試合34得点
1997ー02 インテル   68試合49得点
2002ー07 R.マドリード 127試合 83得点

ミナスジェライス州 得点王(1994)

オランダリーグ 得点王(1995)

スペインリーグ
優勝  2回(2003、2007)
得点王 2回(1997、2004)

バロンドール 2回(1997、2002)

【ブラジル代表】
1994ー2011 98試合62得点

「W杯2002、得点王」

ホナウドは、プロ2年目、17才で
クルゼイロで
「ミナスジェライス州リーグ、得点王」になった。
22得点(18試合)した。
チームは、「州リーグ、優勝」した。


彼は、この活躍で代表に選ばれ、
17才で、W杯1994に参加した。
正確には17才と268日 [大会開幕日の年齢]
(エドゥー16才と339日 [1960年代、FW]、
ペレ17才と228日に次いで、
ブラジル史上3番目に若い、W杯参加だった)。

しかし、チームは優勝したが、試合出場はできず、
ベンチ生活で大会を終えた。
やっぱり彼は、ペレ以下ですね。

写真、中央が ホナウド。

クルゼイロは、北ブラジル、ミナスジェライス州の
ビッグ・クラブである。


余談だが、この頃、
対戦相手のサンパウロFCは
1992年、93年と、「2年連続、世界王者」になり
世界一、強いチームだった。

W杯後、1994-95シーズンは
「オランダのビッグ・クラブ」、PSVに移籍した。
彼はリーグ戦で、1年目から得点王に輝いた。
30得点(33試合)を決めた。
まだ18才だった。
さすが「フェノメノ(怪物)」、ホナウドである。

この後、1996年夏、19才で
(20才の誕生日、目前。彼は9月18日生まれ)
史上最高額の移籍金で、
スペインのFCバルセロナへ移籍した。

「19才で、史上最高額移籍」は、凄い。

第3位 テオフィロ・クビジャス 17才と347日。        [1966年、ペルー・リーグ得点王]                 ≪プロ・デビュー1年目から得点王≫

1949年、ペルー生まれ。

【所属クラブ】
1966ー1972 アリアンサ  175試合117得点
1974-1977 FCポルト   85試合48得点
1979ー1983 フォートローダーデール
             139試合65得点


ペルー・リーグ 得点王 2回(1966、70)

コパ・リベルタドーレス 得点王(1972)


【ペルー代表】
1968ー1982  81試合26得点

コパ・アメリカ1975  優勝 & MVP

「1972年、南米最優秀選手」

W杯1970 5得点、得点順位 3位
W杯1974 不参加(南米予選、敗退)
W杯1978 5得点、得点順位 2位

クビジャスは「ペルー史上最高の選手」と
評される事が多い。

W杯1970に、21才で出場、エースで活躍し、
5得点(4試合)を挙げた。
得点順位は、大会3位。

W杯1978でも活躍、5得点した。

2大会共、ペルー史上最高成績「ベスト8」に
貢献した。

W杯では「計、10得点」で
MFでは「ペレ、12得点」に次いで、歴代2位(2019年、現在)。

メッシとは大違いで、W杯で点を多く取った。
コパ・アメリカに優勝した。

クビジャスのポジションは、10番(攻撃的MF)で、センターフォワードではなかった。
しかし、「得点能力が高い10番」だった。

小野伸二と久保建英とは全然、違いますね。

クビジャスは、プロ1年目、19得点(23試合)で、
得点王に輝いた。

彼の愛称は、「ネネ(赤ん坊)」である。
プロ・デビューが早過ぎた為、
先輩達から「ネネ(赤ん坊)」と呼ばれ、定着した。
超一流選手の愛称としては、滑稽である。

【エピソード】
彼は、17才の時、チームの遠征で、飛行機に乗り、
CAから、飲み物を尋ねられた。
(周りの選手は、酒を注文していた)
その際、脇に居た先輩選手が、
「こいつはまだ赤ん坊だから、牛乳をやってくれ」
と横から勝手に注文したのをきっかけに
チーム内で、愛称が「ネネ(赤ん坊)」になった。

それ以来、国民からも「ネネ・クビジャス」と呼ばれるようになった。

第4位、ディエゴ・マラドーナ 17才と364日       [1978年、アルゼンチン・リーグ得点王]              ≪プロ3年目で、得点王≫ 16才でアルゼンチン代表デビュー

1960年、生まれ。

彼は、ボカ、ナポリ、アルゼンチン代表などで、
活躍した。

15才で プロ・デビュー。
16才で 代表デビュー。
17才で リーグ得点王になった。

18~20才にかけて「4期連続、リーグ得点王」
を達成。
(アルゼンチンが1シーズン、2期制になって以降「4期連続」は彼だけだ)

メッシの「初得点王」が、22才です。
クリスティアーノ・ホナウドが23才です。
彼らは、得点王になるのが遅過ぎです。
ペレとマラドーナより5年ぐらい遅く、
才能が不足してると思います。
本当に優秀な選手は10代で
プロ1年目か、2年目には得点王になってます。

マラドーナは、10代は、
「小クラブ、アルヘンチノス・ジュニオルス」所属
だったが、19才と20才の時、
「2年連続で南米最優秀選手」(1979、80)
に選ばれた。
こんな人は、まず現れないだろう。


アルヘンチノスは、マラドーナの大活躍で
「1980年、メトロポリターノ」で、
リーグ戦で2位となり、
当時、「クラブ史上最高の成績」を残した。


(余談だが、マラドーナ退団の4年後、
アルヘンチノスは1984年、「リーグ初優勝」し、
翌1985年には、なんと「南米王者」になり、
世界を驚かせた)

写真は
プロ・デビュー戦での、マラドーナ(15才)

「1976メトロポリターノ、第8節(10月20日)
タジェレス戦」。
試合は 0-1で敗れた。

マラドーナの初ゴールは、25日後、
1976年11月14日、第12節、
「サン・ロレンソ・マル・デル・プラタ戦」で
(ブエノスアイレスのビッグクラブ、
サン・ロレンソとは違う。
同名で、マル・デル・プラタに存在するチーム)
敵地で、5-2で勝利し、2得点した。

彼の「公式戦、プロ初ゴール」は
16才と15日だった。

翌1977年2月27日、プロ・デビューの
僅か4カ月後、16才で
「アルゼンチン、A代表」デビューした。
ハンガリーと戦った。

プロ2年目、マラドーナは
17才で「49試合19ゴール」の好成績だったが、
まだ得点王争いは、できなかった。

しかし、プロ3年目、W杯落選後のシーズン、
悔しさをバネにし、
22得点(31試合)で初めて得点王に輝いた
(1978メトロポリターノ)。
「アルゼンチン・リーグ、最年少得点王」記録、
「17才と364日」を作った。

マラドーナは
同年、次のシーズン(1978ナシオナル)、
得点王を逃した。
しかし、翌1979年から80年にかけ
「4期連続、得点王」を達成した
(18才 から 20才52日の間)。

彼の「得点王回数、5回」は未だに
「リーグ史上、最多」である(2019年、現在)。

マラドーナの得点王について詳説します。
アルゼンチンは当時、
「1シーズンが、2期制」でした。
(メトロポリターノ、ナシオナルの2期リーグ)
その為、彼は、短期間に「5回も得点王になった」
訳です。
1979~80年(18才から20才52日)の間は、
2年間で、なんと「4期連続、得点王」という
偉業を成し遂げた。

彼は20才で既に、アルゼンチンで一番だった。


【マラドーナ、W杯落選】
マラドーナは、16才で
アルゼンチン代表デビューしたが、
翌17才の時、
「1978年、地元開催のW杯」で、落選した。
「アルゼンチン代表、最終候補25人」
に残ったが、最後に落選した3人の1人となった。

1981年、アルゼンチンのビッグ・クラブ
ボカに移籍した。

彼は活躍し、自身初となる「リーグ優勝」をした。
しかし、得点王を逃した。
「小クラブ、アルヘンチノス」で
「4期連続、得点王」だった為、
ビッグ・クラブ故、「5期連続」を
容易に達成するかと思われたが、できなかった。
しかし、17得点(28試合)し、
チームを優勝に導いた。

マラドーナの得点順位は3位だった。

ちなみに、得点王は
デ・ラクルス・チャパロ(インスティトゥート)
20得点で
2位は、フアン・カラスコ(ラシン)、
18得点だった。

マラドーナは次シーズンも得点順位は3位だった。
やっぱり、ペレ以下ですね。

マラドーナは、ボカに僅か1年在籍したのみで、
翌1982年、21才の時、
バルセロナへ、
当時「サッカー史上最高額の移籍金」で
入団した。

21才で、「史上最高額の移籍金」というのは
凄い。


マラドーナは17才で代表落選し、
10代でW杯で活躍できなかった。
そして「連続得点王」記録は、2年で途絶えた
(4期連続、得点王になったけど)。

やっぱり、彼はペレ以下ですね。

第5位、ハビエル・サビオラ 18才と9日              [1999年、アルゼンチン・リーグ] ≪プロ2年目で、得点王≫

1981年、アルゼンチン生まれ。


【主な所属クラブ】
1998-2001 リーベルプレート 86試合45得点
2001-2004 バルセロナ   123試合49得点
2009-2012 ベンフィカ    69試合24得点



アルゼンチン・リーグ
 優勝  2回(1999-2000年 前期 & 後期)
 得点王  1回(1999年、前期)
 

ポルトガル・リーグ  優勝(2010)


「南米最優秀選手」受賞(1999)


【アルゼンチン代表】
2000-2007  40試合11得点


コパ・アメリカ 2004    準優勝

アテネ・オリンピック2004  優勝

1 2 3 4 5