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3分でわかる戦国武将・毛利元就

戦国武将・毛利元就について、3分でざっくりわかるようにまとめました。

更新日: 2019年06月12日

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bewith221さん

毛利元就(もうりもとなり)

生没年:1497年~1571年
出身地:安芸

75歳と長命で、優れた知略で、毛利氏を中国地方全域を治める太守にまで導いた。

中国全域の覇者で戦国最高の知将

情報戦を非常に重視し、間謀を多用した。
謀略や軍事手腕と巧みな外交戦略によって、勢力を拡大、1代で大国を築いた。

大内氏と尼子氏の狭間で、巧みに立ち回り、勢力を拡大

もともと毛利氏は、安芸の小勢力に過ぎなかったが、周防の大内氏と出雲の尼子氏の2大勢力の間を、有利な側に鞍替えして生き長らえ、巧みな外交で正面衝突を避けている。

「両国の桶狭間」と呼ばれる有田中井手の戦いで、武田元繁を撃破

当時、大内傘下にあった毛利元就は、尼子側の武将・武田元繁を、「両国の桶狭間」と呼ばれる有田中井手の戦いで討ち取る。
後の合戦で毛利氏は近隣に大きな影響力を持つようになる。

大内氏と尼子氏が滅亡し、毛利氏が勝利者として残る

大内氏は、大内義興の死後に謀反により自壊。
尼子氏は、尼子経久の死後に、謀略によって内紛を起こし弱体化し、滅亡。
毛利元就は、巧みな軍略と謀略で、大内氏と尼子氏を滅亡させた。

婚姻政策で勢力拡大

次男と三男を有力国人の吉川氏と小早川氏に養子に出している。
成長した吉川元春と小早川隆景は、毛利氏に大きく貢献した。

「三本の矢」「百万一心」

百万一心とは、すべての者が力を合わせればどんなことでも成せるという意味。

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