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戦前にソ連のスパイ『リヒャルト・ゾルゲ』

戦前にソ連のスパイとして日本で活動したスパイ・ゾルゲは、現在はロシアの英雄として多くの尊敬を集めています。その存在は、日本でも有名です。

更新日: 2019年06月17日

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misukiruさん

事実上はゾルゲは日本を敵にしたわけではなく、なんとか日本とソ連に戦争が起きぬように働いていただけなのだ。

◆1944年に処刑されたソ連スパイ

「帝国ニッポンは北進せず」とソビエト連邦に打電した男は、防諜(ちょう)当局に逮捕され、終戦を前に処刑されてしまう。

日本での8年間に及ぶ諜報活動の果てに、ゾルゲは永坂町の自宅で逮捕された。真珠湾攻撃のわずか2カ月前の1941年10月のことだった。

彼は、日本やドイツのファシズムを打倒することが全世界の平和に繋がると考えて、カネだけでなく自らのポリシーでソ連のためにスパイ活動をする

◆国際的共産主義者としてスパイ活動

リヒャルト・ゾルゲは諜報員になるべくして生まれたような人物だった。頭脳明晰で魅力的かつエレガントな彼は、有用な人脈を作ることに長けていた。彼と知り合った人物は、重要な情報を徹底的に吸い上げられた。

ゾルゲの本質は「国際的共産主義者」です。世界を共産主義の理想で包むことによって、完全平和を達成するのが彼の生涯の理想だったのです。だからこそ、彼は命がけでスパイ活動をした

知性溢れる友好的な立ち居振る舞いによって、彼は容易に人と仲良くなれた。友人の中で最も重要な人物の一人が、在日ドイツ大使オイゲン・オット少将だ。オットはナチス・ドイツのあらゆる機密を知ることができた。

◆1932年・イギリス警察がスパイ断定

イギリス警察は、日本の警察に比べて情報戦に強かったので、ゾルゲが日本に来る前から、ゾルゲをスパイであると断定していました。

上海共同租界の工部局イギリス警察は1932年1月頃から、ゾルゲをソ連のスパイではないかと疑い始め、その後捜査を進めた結果、1933年5月にゾルゲをソ連のスパイとほぼ断定

◆1933年に来日

日米開戦の足音が聞こえる東京の中枢で大型のオートバイを乗り回し、美しい女たちを連れて出歩いていた。

表向きゾルゲはドイツの有力新聞「フランクフルター・ツァイトゥング」の特派員として取材活動をしていた。

ゾルゲのあらゆる方面に均一の取れた性格、やりくりのうまさ、人付き合いのよさも発揮された。

◆外国人の協力者

「ゾルゲ諜報(ちょうほう)団」の中核をなす外国人グループの「ナンバー2」がいた。ギランと同じアヴァス通信に勤めるクロアチア出身のジャーナリスト、ブランコ・ヴケリッチ

ヴケリッチはその後、ゾルゲと同じ日に逮捕され、無期懲役となった。極寒の網走刑務所に服役中、1945年1月、終戦を待たずに獄死した。若い日本人妻と幼子が残された。

◆日本人の協力者

日本における『ゾルゲ諜報団』の日本メンバーのトップのような位置づけで、日本中枢の重要な情報をゾルゲにもたらしました。

ゾルゲ諜報団の日本人は、尾崎秀実、鬼頭銀一、川合貞吉、水野成、山上正義、船越寿雄であった。

ゾルゲが選んだのが上海時代に知り合い近衛内閣のブレーントラストのひとりとなっていた尾崎秀実である。尾崎を仲間にして日本政府に関する情報が入手できるようになった。

リヒャルト・ゾルゲのもう一人の主要な情報源は、日本人記者の尾崎秀実だった。近衛文麿首相の助言者であった彼は、実は熱心な共産主義者であり、ソルゲの協力者だった。尾崎は大日本帝国の高官らに接触することのできる人物だった。

◆ゾルゲが愛した石井花子

石井花子は、2000年に88歳で亡くなった。

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