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【2019年】江戸時代の都市伝説がヤバすぎる【最新版】

今年は日本の都市伝説・予言【南海トラフ地震】が話題になりました。この記事では江戸時代の都市伝説をまとめています。

更新日: 2019年07月06日

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baseraさん

徳川家康は

本能寺の変を起こしたのは、明智光秀。最近の調査では、家康・秀吉説も出ています。

信長を殺した流れを徹底考察
・家康は、刺客を集める【家康と繋がってる侍たち】

・信長に恨みがある大名も集める

・信長がいない場所で打ち合わせ

・刺客と大名は、本能寺の変を起こす

・光秀が助けに来る

・しかし信長は、討ち取られる

・光秀の仕業に見せかける

・家康はアリバイを隠すため、伊賀越えを行う

広く考えられているのは、明智光秀の単独犯説。
高橋秀樹さん曰く「説は、僕の知っている限り、14~15あります」
最近書かれている本では、(黒幕が)千利休説というのも出ています。

林先生が黒幕と疑ったのは「豊臣秀吉」と「徳川家康」。

出典http://anothernewsstation.com/2017/02/08/honnouji-kuromaku/

信長を恨む理由

信長の娘と家康の息子は、結婚した。この結婚により、織田家と徳川家は、親密な関係になる。

しかし信長の娘と家康の母は、不仲で、よく喧嘩していた。ある日、娘は信長に「夫の母親は悪い人」とチクリ、処刑にまで発展する。

信長は家康に「お前の妻と子」を処刑しろと命じた

また妻と子を殺すことで、家康の忠誠心を確かめた。家康は泣く泣く妻と子を殺し、信長に忠誠を誓った。

しかしその一方で、家康は深く後悔した。

家康は、信長の命令で、長男の信康と正室の築山殿を殺されています。
信康は、信長の娘・徳姫を嫁にしました。
その徳姫が、信長に手紙を書きました。
そこには、信康の母、つまり家康の正室は「悪い人」だと書かれていました。
要するに、嫁姑問題です。
信長に恨みがあってもおかしくない家康、動機は充分です。

出典http://anothernewsstation.com/2017/02/08/honnouji-kuromaku/

家康と光秀は

そう思われる理由
・信長は、光秀に厳しかった
・光秀には、野心があった
・家康が伊賀越えに成功した【明智の軍勢に襲われなかった】

徳川家康の『伊賀越え』成功の裏には、明智光秀との密約はあったの?

織田信長は、その時、家康討伐命令を出していた?

家康は、なぜ明智光秀に関係する女性を家光の乳母にしたの?

明智光秀は本当に”怪僧天海”と同一人物なの?

出典http://anothernewsstation.com/2017/02/08/honnouji-kuromaku/

明智日向守は信長がとり立てた者で、丹波をあたえられていたが、きゅうに裏切って、丹波より夜襲をかけ、本能寺へ押しよせ、信長に腹を切らせた。

信長も表にでて「城介の裏切りか」とおっしゃると、森お蘭が「明智の裏切りのようでございます」と申す。「うん、明智の変心か」とおっしゃっているところに、明智の配下の者に、一槍つかれると、奥に引っ込まれた。お蘭は突き戦って、またとない働きをして戦死をし、おともする。館に火を放って、信長は焼け死んだ。・・・。

信長に腹を切らせた明智は、また城介殿の館へ押しよせた。織田九右衛門尉、福富をはじめとし、これはという者どもが百余名こもっていたので、城介殿の館では火花をちらして戦いが行われた。城介殿をはじめ、ほとんどが戦死をとげた。・・・・。

家康はこのことを堺でお聞きになり、もはや都へ行くことはならず、伊賀の国を通って引きあげた。

そのおり、信長がかつて、伊賀の国を攻めとられたとき、みな殺しにして、諸国へ逃げた者も、つかまえて殺したが、三河へ落ちて家康をたのんだ人びとを、家康はひとりも殺すことなく、生活の世話をなさったが、国に討ちもらされていた者が、そのときのことをありがたく思っていて、「こんなときにご恩をお返ししなくては」と家康をお送りした。

出典 http://anothernewsstation.com/2017/02/08/honnouji-kuromaku/

光秀はその後

天正10年(1582年)6月2日に、天下人織田信長にクーデター(本能寺の変)を起し織田政権を倒したものの、11日後の『山崎の戦い』で豊臣秀吉に敗戦し、この世を去ったと言われる明智光秀と天海僧正が同一人物ではないかと言われています。

天海と家康は、叡山の宗門争議の折に、家康が叡山対策の人材に困った折、侍医の施薬院宗伯(せやくいん そうはく)より推薦されて、家康の命により叡山に派遣された時が初対面と言われています。

若い頃より宗門対策に苦労して来たこともあり以後、天海僧正の学識・人格に惚れた家康は、折に触れて政治むきの意見も求めるようになり、徐々に幕府の政治顧問となって行ったようです。

また、”天海僧正と明智光秀同一人説”に関しては、、、

徳川家康は、『本能寺の変』による織田信長暗殺に関し、後世伝わるほど明智光秀をほとんど罪悪視するような考えを持っておらず、むしろ人物として評価していた傾向がみられる事。

例えば、臣下の水野勝成に、”明智光秀ゆかりの槍”を与え、”明智光秀にあやかれ”と云った話が伝わっているとか、光秀とともに本能寺の首謀者とされている家老の斎藤利三の娘を孫の乳母として採用しているなどがあります。

豊臣秀吉によって徹底的に悪人化された明智光秀を、家康が普通の武人として評価する姿勢だったとか、後の天海上人との関係などから、天海・光秀同人説が生まれたのではと考えられます。

出典http://anothernewsstation.com/2017/02/08/honnouji-kuromaku/

UFOは江戸時代にも存在した!

1人の女性がUFOを目撃しました。その後、女性の話を元に、UFOが描かれています。

当時の将軍は、UFOに興味を持ち、調査を行いました。しかしUFOは見つからず、謎に包まれました。

江戸時代にUFOとしか思えないような奇妙な舟が漂着した、という話をご存知の人も多いと思います。

これは『うつろ舟の蛮女』の話として伝わっていますが、「江戸時代に起きたUFO・宇宙人の遭遇事件ではないか?」と考える人たちも数多くいます。

しかも、うつろ舟の中には、手に箱を抱えた美女が乗っていたというのですから、さらに驚きです。

当時の事件の様子を伝えている挿絵を見ると、UFOとしか思えないような窓の付いたお椀型の乗り物、奇妙な姿をした女性、見たこともない謎の文字などが、実際に描かれているのです。

出典https://machiukezoo.biz/archives/12746

・享和3年、常陸国鹿島郡にある旗本(小笠原越中守、小笠原和泉守などとされる)の知行地の浜に、虚舟が現れた。

・舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。

・虚舟には文字のようなものがかかれている。

・中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。

9代将軍【徳川家重】は

その理由をまとめると…
・男装していた【威厳を出すため】
・遺骨を見ると、小柄だった【女性に近い骨格】
・男の肖像画を描かせた【女性だと隠すため】

家重の遺体からわかったのは「顔が大きいけれど細面、鼻筋の通った美しい顔、全体的に小柄で、常に歯ぎしりをしていた跡があった。上顎歯槽(歯並び)はV字形」と分析されました。

当時の男性の歯並びは一般的に「楕円形」で、女性はV字形でした。また顔が大きく全体的に小柄というのは当時の女性の体型だったようです。さらに家重は当時の男性よりも骨が細く、大腿骨の長さが5%も短かかった。これも当時の女性の特徴でした。

つまり家重は”女性っぽい”のです。

出典https://ameblo.jp/yushima-tank/entry-11377710684.html

聖徳太子は

「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。
そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を十回浴びても、それを
越えて栄え、千年の間都として栄える。しかし一千年の時が
満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される」

出典https://r-ijin.com/syotokutaisi-2016/

これはまさに「黒船来航」を予言しています。黒龍とは黒船のコトですね。そしてバッチリ当たっています。

約1000年ほど、現在で言うと「京都」がず~~っと首都でした。

しかし、黒船の来航によって明治維新が起こり、首都が東に移り「東京」になったのでしたね。

そのような事をバッチリ当てているなんて恐ろしいことです。

出典https://r-ijin.com/syotokutaisi-2016/

他にもこんな予言を残している

日本が八つ裂きになると言っている。おそらく南海トラフ地震の事だろう。

その証拠に南海トラフは2018~2048の間に起こると言われている。

▼聖徳太子の予言をまとめると

「 2030年頃に、人類が滅亡の危機に瀕する 」
「 九大を損じ 先ず日沈み 万乗おとろう 」
「 天 不義を憎んで 怪物を下す 」

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