遺体が容疑者によって隠匿されたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。

現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、岡﨑一明が自首したことによる。

事件のきっかけ
「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。

ウム真理教代表者麻原彰晃(松本智津夫)は「坂本弁護士の活動は、今後の教団の発展の障害となる」と考え、信徒に彼の殺害を命じたとされる。

11月4日未明に自宅に侵入。端本が坂本堤に馬乗りになり、岡﨑が絞殺、新実が坂本の妻(当時29歳)を絞殺、中川が坂本の長男(当時1歳)の口をふさいで殺害した。

1995年(平成7年)地下鉄サリン事件が発生したのち、警察はオウム真理教の捜査を本格的に開始。

その中、岡﨑一明の自供により坂本の一家が殺害されていたことがわかった。

出典坂本堤弁護士一家殺害事件 | 日本凶悪事件史

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