7月3日午前9時、捜査本部は、記者会見で、「サリンと推定される物質を検出した」と発表した。ここで、マスコミはこの事件を「松本サリン事件」と名付けた。

サリンは、第一通報者の河野宅の周辺6ヶ所から検出された。
捜査本部は、定石的捜査として、河野から事情聴取を行った。

同日夜、河野の弁護士は、本人とのやりとりを録音したテープを公開、事件との関与を強く否定した。

だが、これ以降、長期間、河野は警察やマスコミからも白眼視され続けることになる。

取調官は、河野が調合を間違えたと話しているのを聞いた人がいると言った。
河野が、その本人に会わせろ、と要求すると、人権上、それはできないと逃げられた。
お前がやったんだろう、正直に吐け、と嚇す刑事もいた。

7月7日ころから、河野を犯人扱いする新聞記事、テレビ報道が始まった。

結局、河野は翌1995年(平成7年)3月20日の地下鉄サリン事件(12人死亡、14人重傷)が発生するまで疑惑の人物とされた。

出典松本サリン事件 | 日本凶悪事件史

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