教団元幹部たちの多くは、有名大学を出たエリートたちであった。

しかし、信者の大多数は、平均的な一般の人々であった。

私が面接したオウム信者たちも、取り立ててエリートということもなく、ハンナ・アーレントがナチスの高官であったアドルフ・アイヒマンを指して述べた「悪の凡庸さ」という言葉がしっくりと当てはまるような人々であった。

人間というものは、権威者から命じられると、驚くほど素直に服従し、しかも残酷になれるということが明らかにされた。

教団の人々は、真摯に人生の意味を求道しているのに対し、それ以外の人々は、何も考えていないミジンコ程度の存在だという考えを持つに至る。

これらの手記は、エーリッヒ・フロムが、ナチスドイツとそれを熱狂的に支持した当時のドイツ国民の心理を分析した内容を彷彿とさせるものがある。

ドイツの人々は、「自由」に伴う恐怖や不安に耐えられず、そこからの「逃走」を図った挙句、ナチスに服従して束縛されることを求めたのである。

彼らが選んだのは、自分で主体的に答えを見つけるという道ではなく、権威に服従して、答えをもらうことだった

出典死刑執行…信者と面接して見えた「オウム事件」もう一つの現実(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)

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