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日本の将棋の起源はカンボジアから!韓国人の説は間違い

2018年に日本最古の駒が初公開され、発見地の興福寺で将棋名人戦も行われました。日本の将棋は、どこから伝わったのでしょうか。やはり、中国や朝鮮半島からなのでしょうか。いいえ、違います!という将棋の歴史の謎とき説を紹介します。

更新日: 2019年08月12日

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pcpgt862さん

12世紀の寺院アンコールワットは、東南アジアの至宝です。

チャトランガとはインドの古代のボードゲームで将棋やチェスのルーツと言われています。

伝来ルートは①インド~中国~朝鮮~日本と、②インド~東南アジア~日本のどちらかといわれています。

将棋を中国・韓国から教えてもらったと思えない3つの理由

見ての通り、まんなかに「河」が流れていて、
そこから違います。駒の形も丸い。

目立つ共通点は漢字を使っていることくらい。

理由① 駒が、囲碁と同じように交差線上に置かれる

理由② 違う点は、「取った駒を使えない」という点でしょう。

裏返って「成る」ということもありません。

理由③ 独特の細かいルールがあって、日本将棋のようなシンプルさがありません。

・玉は宮殿から出られない。
・玉が互いに直接向かい合うように動かすと負け。
・象は相手の陣地に入れない。
・馬は桂馬と違い、途中の駒で邪魔される。
・砲は何か駒を飛び越えた後のみ、駒を取れる。

中国の将棋のコピーそのもの。

日本の将棋が朝鮮経由なら、同じようにもう少し似ていてもいいはず。日本のはもっと独創的です。

韓国将棋協会のサイトにおいて、昌原大学シン・ソクファン教授が「韓国のチャンギは中国から伝わったものではない。中国のシャンチーは韓国のチャンギの模倣」と主張

王将に当たる駒は「楚」とか「漢」というらしいです~。昔の中国の国名でしょうが~!!どっちが起源かバカでも分かるって!!

逆に東南アジアからと思われる4つの理由

駒は日本将棋と同じようにマス目に置きます。

理由① 貝は、日本将棋の歩と同様、自陣の三段目に並びます。

成るのも敵陣三段目で、日本と同じです。

理由② 象の代わりに根が入り、日本将棋の銀と同じ動きをします。

玉や飛車の動きも同じです。銀の動きの駒は、チェスにも中国の将棋にもありません。

理由③ 注目すべきなのは、ビアは円盤のような形で、成ると裏返して使うようになることです。日本将棋の成り駒と似ていますね。

理由④ マークルックには「貝」という駒があるように、世界でも珍しい、財宝を取り合いする考え方があり、日本将棋はその影響を受けて「玉」や「金」「銀」という財宝の駒ができたようです。

なんで王でなく玉なのか不思議でしたが、「最高の宝石」という意味だったのですね。なお、玉から点を取って王将を作ったのは、”日本の王"豊臣秀吉という説があります。

金、銀、桂、香、ぜんぶ中世の日本での代表的な宝物です。

チェスや中国のシャンチーにはない、ユニークな名前の付け方です。

大内九段がさまざまな国の将棋を現地で体験した結果、タイのマックルークについては「それほど違和感なく指し手を進めることができる自分に気がついた」のだそうです。

タイと日本に共通する感覚は、チェスの「クイーン」やシャンチーの「砲」のような強力すぎる駒がなく、注意を払う必要がない点だといいます。

将棋が日本に来たのは10世紀ころ

日本最古の駒は奈良の興福寺旧境内跡から出土した駒で、平安時代の1058年のものです。

王将はなく、3つとも「玉」将です。

時代は10世紀前後、この頃の東南アジアは、今のタイの地域ではなく、カンボジアの地域が栄えていたわけで、そこにクメール王朝があって、アンコール遺跡があったわけです。

クメール王朝は、9世紀から15世紀まで東南アジアに存在していた王朝です。12世紀の最盛期には、インドシナ半島のかなり広い範囲を治めていました。

アンコールワットの壁画には、チェスを思わせるレリーフがいくつもあります

現代のカンボジアでも、千年前と全く同じく、将棋がさされています。(タイと同じルールです)

ちょうどグスク時代の琉球で交易も始まります。

東南アジアからも陶磁器を輸入するなど、アジア貿易の中継点として重要な役割を果たしていたようです。

海のシルクロードをはるばる渡って将棋はやってきたのか。起源の謎をたどるのは歴史のロマンがありますね。

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