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【赤土の王者】 ラファエル・ナダル とは 「ATP:テニスプレイヤー」

プロテニスプレイヤー「ラファエル・ナダル選手」の生い立ちから戦績まで!

更新日: 2019年10月01日

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ラファエル・ナダル・パレラ/Rafael Nadal Parera

愛称 : ラファ (Rafa)

国籍 :  スペイン

出身地 :  バレアレス諸島州マナコル

生年月日 : 1986年6月3日(33歳)

身長 : 185cm

体重 : 85kg

利き手 : 左

バックハンド : 両手打ち

デビュー年 : 2001年

ツアー通算 : 94勝

生涯獲得賞金
111,328,858 アメリカ合衆国ドル (2019.09現在)

出生は!

ラファエルは、保険会社を経営する父セバスチャンさんと、母アナ・マリアさんとの間に産まれました。マリア・イサベルさんという妹がいます。

幼少期のナダル選手は!? 才能を見出したのは叔父!

ナダル選手は両親にも愛情いっぱいに育てられたが、同選手のスポーツへの才能を磨き上げたのは、2人の叔父だった。

叔父(母の兄弟)はサッカー元スペイン代表ディフェンダーのミゲル・アンヘル・ナダル氏。ナダル選手も少年時代、ボールを蹴ることに夢中になった。

もう1人の叔父(父の兄弟)であるトニー・ナダル氏は元テニス選手でもあるテニスのコーチで、当初よりナダル選手のコーチを務めた。同氏は、2018年まで同選手のコーチであり続けた。

ラファエルは叔父が元サッカー選手だったことも有り、大変なサッカーファンで、幼少の時は元ブラジル代表のロナウドが好きでした。

叔父のツテによりバルセロナのドレスルームでロナウドと写真を撮ったことがあります。

学校の成績の為に、テニスかサッカーを選択することに!

テニスとサッカーに全エネルギーを注いでいったナダル少年。

学校での成績はあまり向上しなかったことが、父親であるセバスチャン氏の頭を悩ませたこともあった。そうして同氏が「少しでも息子が勉強に時間を割くように」という思いで施した解決策の一つが、「テニスかサッカーか、一つの競技に絞らせる」ということだった。

とにかく、この決断がナダル選手の人生を変えた。「学業のために」と下したセバスチャン氏の判断が、結果としていまのナダル選手を生み出したと言ってもいい。それまで双方向のスポーツに向けられていた熱量を、一つのスポーツに注ぐことになったからだ。

コーチのトニによると、ラファエルは12歳ぐらいまで、テニスにおいてストロークはフォア・バックとも両手で、サーブは右で打ったり左で打ったり定まらなかったようです。

サーブはどっちで打っててもひどいもんだったと語っています。その後、テニスでは左の方が有利というトニの助言を聞き入れ、ラファエルはフォアハンドとサーブを左手のみで打つことになったのでした。

テニスのために移住か!?

8歳の時にスペイン国内の12歳以下の大会で優勝するなど、メキメキと頭角を現していった。

12歳になる頃には、その才能はスペインのテニス協会の目にも止まり、協会から「より高度なトレーニングをナダル選手に受けさせるため、バルセロナに移住してはどうか」といった要請が下るまでになっていた。

「息子が勉学に時間を割けなくなるのでは」という両親の懸念もあり、折り合わなかった。

加えて、コーチのトニー氏が「私はトップアスリートになるためにアメリカや、他の場所に行くことが必須とは思えない。家の周りでも練習はできるはずだ」という考えを強調したことに、両親が賛同していたことも大きかった。

2001-2004 15歳でプロ転向!

2001年に15歳でプロ入りした。2003年4月21日、16歳10ヵ月で世界ランキング100位入り。

2003年8月4日、17歳2ヵ月で世界ランキング50位入り。2004年8月のオレンジ・ワルシャワ・オープンでシングルス初優勝を飾り、アテネ五輪にカルロス・モヤとの男子ダブルスで出場している。全米オープン男子ダブルスで、同じスペインのトミー・ロブレドと組んで準決勝に進出したことがある。

12月のアメリカとのデビスカップ決勝にも起用され、アンディ・ロディックを6-7(6), 6-2, 7-6(6), 6-2で破りスペインの優勝に貢献した

2005 4大大会初制覇

ナダルは2005年シーズンに急成長を始めた。シーズン序盤、中南米のクレーコートの大会でいくつかの勝利を収め、全仏オープンの前哨戦となるATPマスターズシリーズのモンテカルロ・マスターズで18歳10ヵ月で優勝。

世界ランキング10位入りを果たす。続くBNLイタリア国際でも優勝。年頭には50位だったATPランキングも、全仏オープン開始前の5月9日には5位まで上昇した。

第4シードで出場した全仏オープンでは、ラース・ブルクスミュラー、グザビエ・マリス、第30シードリシャール・ガスケ、第23シードセバスチャン・グロジャン、第20シードダビド・フェレールを破り準決勝進出。

準決勝で世界1位のロジャー・フェデラーを破り、決勝ではアルゼンチンの伏兵マリアノ・プエルタに競り勝って、「19歳2日」の若さでグランドスラム初優勝を達成。全仏オープンでの初出場・初優勝は1982年のマッツ・ビランデル以来となり、大会でも4番目の年少記録だった。

10代の男子テニス選手がグランドスラムで優勝したことも、1990年全米オープンに「19歳28日」で優勝したピート・サンプラス以来15年ぶりの快挙であった。

。2005年度はATPツアーで年間11勝を挙げ、そのうちATPマスターズシリーズでは、モンテカルロ・マスターズ、BNLイタリア国際、ロジャーズ・カップ、マドリード・マスターズの4大会で優勝した。

2006 全仏2連覇・全英準優勝

2006年のシーズンでも、ナダルはATPツアー大会の決勝戦でフェデラーに4連勝を記録した。

同年5月、第7回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を受賞。2006年にはクレーコートで、ギリェルモ・ビラスが持っていた「53連勝」の記録を更新する。

第2シードで出場した全仏オープンではロビン・セーデリング、ケビン・キム、ポール=アンリ・マチュー、レイトン・ヒューイット、ノバク・ジョコビッチ、イワン・リュビチッチに勝利し決勝進出。

決勝戦ではフェデラーに1-6, 6-1, 6-4, 7-6で勝ち、大会2連覇を達成。クレーコートでの連勝記録を「60連勝」に伸ばし、それまでグランドスラムシングルス決勝戦で負けたことがなかったフェデラーに、初めての黒星をつけた。

2007 全仏3連覇・全英準優勝

、ATPマスターズシリーズのハンブルク・マスターズ決勝でフェデラーに6-2, 2-6, 0-6で敗れ、2005年4月から続いていたクレーコートの連勝記録が「81連勝」でストップした(これはフェデラーにとって、対ナダル戦のクレーコート初勝利であった)。
この記録は、ジョン・マッケンローが室内カーペットコートでマークした単一コートでの連勝記録「75連勝」を更新するものであった。

直後の全仏オープンではフアン・マルティン・デル・ポトロ、フラビオ・チポッラ、アルベルト・モンタニェス、レイトン・ヒューイット、カルロス・モヤ、ジョコビッチに勝利し決勝進出。決勝でフェデラーを6-3, 4-6, 6-3, 6-4で下し、大会3連覇を達成する。

ウィンブルドンでは3回戦で相次ぐ降雨順延・中断に悩まされるなど、ハードなスケジュールの中で決勝に勝ち進む。フェデラーとの2年連続の決勝対決では6-7, 6-4, 6-7, 6-2, 2-6でまたも敗れたが、芝においても王者に肉薄しつつあることを十分に示す激闘だった。

2008 全仏4連覇、全英初優勝・五輪金メダル、世界ランク1位に

全仏オープンでは、決勝でフェデラーを6-1, 6-3, 6-0のストレートで下し、全仏ではビョルン・ボルグ選手以来2人目の4連覇を達成、全仏初出場から28連勝とした。

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