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平成の日本車は凄かった!名車10選! その11

平成の「名車」をまとめました!!

更新日: 2019年09月08日

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WLM64さん

日産・パルサー(N14)(平成2年)

1990年8月 N14型にモデルチェンジ。N13型まで存在していた姉妹車のリベルタビラとラングレーがN14型へのモデルチェンジを機にパルサーに統合されたことに伴い、取扱系列が従来のチェリー系列販売会社に加えて、リベルタビラ取扱の日産店系列販売会社とラングレー取扱のプリンス店系列販売会社も加わった。
前期型のCMは、ロールプレイングゲームのようなファンタジックな世界観をイメージし、荒野を走るパルサーを描いたが、3話でこのシリーズは打ち切られ、その後の展開は不明。

グレード/バリエーションが多い。グレード名は V1、M1、M1-D、J1J、K1、K1-D、X1、X1R、GT、GTI、GTI-R の11種類となる。エンジンは、ガソリンエンジンが、この代から全てDOHC16バルブ化されて、1.3L/1.5L/1.6L/1.8L/2.0Lターボの5種類、これに 1.7L のディーゼルを加えて計6種類となる。ボディタイプは3ドアハッチバック、4ドアセダン、5ドアセダンの3種類である。これらに MT/AT や 2WD/4WD の別も組み合わせると極めて多くのバリエーションとなった。中でも目玉は4連スロットルバルブ等を搭載し、ハイチューン化されたSR20DET型 2.0L 230ps ターボエンジンと、U12型ブルーバードSSS-Rから熟成されたフルタイム4WDシステム「ATTESA」を3ドアハッチバックに搭載したホットモデル「GTI-R」である。

1991年4月 WRC参戦記念特別仕様車発売。
5ドアセダンのデザインは、前澤義雄が語ったところによると、日本車をヨーロッパの奥座敷に上げようと言う意図で、3ドアハッチバックでなく4ドアセダンベースにしたという。事実、このデザインは、オペル・アストラやルノー・メガーヌなどに影響を与えた。
1992年 九州工場での生産を開始。

1992年8月 - 後期型へのマイナーチェンジで、フロントエンブレムがパルサー独自のPマークから、日産のCIマークに置き換えられ、リアにもエンブレムがついた。後期のCM出演者は中山美穂、葛山信吾。
1993年8月 - 一部変更。エアコンの冷媒を新冷媒に変更。
1994年5月 - J1J-SV追加。

「GTI-R」はN14型パルサーのイメージリーダーとして開発初期の段階から企画され、WRCへの参戦を前提に設計された。日本テレビ・よみうりテレビ系で放送された「EXテレビ」でも、WRC出場前から多数の生CMを打つなど、派手な広告戦略を取った上で、日産の新しいラリーウェポンとしてかなりの自信と期待を持ってリリースされた。

FF最上級の3ドアGTIと比べ、エアコンがオプション。パワーウィンドウと集中ドアロックは標準装備
代わって外観では、特徴的なボンネット上のエンジンバルジと巨大なリアテールスポイラーが付与される。ビスカスカップリングLSDなど仕様から読み取れる差異があった。また、標準仕様の他に、ラリー等への参戦を目的とした競技用ベースグレード(軽量化のためさらにレスオプションが増え、クロスレシオミッションやスポット増し・機械式LSD・ホイールもスチールとなったもの)がカタログモデルとして存在した。他には標準仕様にニスモ製ロールバーやショックアブソーバー等が装着されたGTI-R NISMOが限定販売された。

当初ハイパワーエンジンに対して小さな車体はラリーフィールドでの強力な武器となると考えられていたが、改造範囲の狭いグループAであることが災いし、タイヤサイズの拡大ができずにパワーをもてあまし、エンジンルームの狭さからラジエーターやインタークーラーの冷却が十分に行えないなど、競技車両として様々な問題が露呈した。1992年のスウェディッシュラリーで総合3位を獲得、グループNクラスでは年間タイトルを獲得する一方、早々とWRCからの撤退を発表した。なお、英国ラリー選手権(BRC)では、SR20DE型を搭載したFFのGTI(現地名・サニー・GTI)がNMEからF2クラスに参戦し、1996年と1997年、チャンピオンを獲得している。このように競技車両としては短命であったが、市販車はN15型にモデルチェンジするまで廃止とならず、堅調な販売を続けていた。

大きなレースからは撤退したものの、小さなボディーにハイパワーエンジンというコンセプトは、夜中の峠道を疾走するローリング族や、ラリーイメージを好むユーザーからの人気を獲得することとなる。また、GTI-Rのエンジンは当時の多くの日産車に採用されているSR20DE系エンジンではあるが、通常とは異なる特殊パーツを備えていたため、ほかのSR20DETエンジンにパーツを流用したり、P10型プリメーラ等SR20DE系エンジン搭載FF/FFベースの4WD車へのエンジンスワップも多く見られた。

ダイハツ・シャレード(G200)(平成5年)

1993年1月 - 発売。車体が大型化したため1.0Lエンジン搭載モデルが廃止され、もはや「リッターカー」とはいえなくなった。当初3ドアと5ドアのハッチバック、エンジンもHC型1.3L・91PSのみ。発売が遅れたもののバブル期に開発が進んでいたこともあってインテリアの質感は高く、装備品とメカニズムは充実していた。1.3L自然吸気車では珍しく電子制御の4速AT「ESAT」を全車に採用(親会社トヨタのスターレットの1.3L自然吸気車は4WDおよびディーゼル車を除くソレイユ系グレードのFF車に限り油圧制御の3速ATが採用される)。そのためバリエーションが多種多様とはならなかったが販売価格は高めとなってしまった。
8月 - HE型1.5L・97PSの1500とこのエンジンを搭載したフルタイム4WD車を追加。同時に1987年のフルモデルチェンジ以来途絶えていたデ・トマソがHD型1.6LのSOHCを搭載して復活。

1994年5月 - フルモデルチェンジで途絶えていた4ドアセダンのソシアル復活。
1995年11月 - マイナーチェンジでフロントフェイスが変更され、若干全長が伸びている(デ・トマソを除く)。
1996年8月 - シャレードソシアルをベースに、ワゴンのパイザーが登場した。
1998年2月 - 後継車ストーリア発売。
2000年4月 - 上級車種のアプローズと共に生産終了。アプローズ同様在庫分のみの対応となる。
2000年5月 - 既存のストーリアに統合される形で販売終了。

車としての出来は同時期の同クラス車に決して引けを取るものではなく、シャレードが優れる面も少なくなかったが、歴代モデルやライバル車と比較するとスタイル的にもキャラクター的にも地味で、存在感が乏しく、全体的に中途半端な印象が否めず、販売も振るわなかった。1998年2月に事実上の後継車となるストーリアが登場した後も継続生産されたものの、役割を完全にストーリアに譲る形で2000年5月に国内向けが販売終了。ダイハツ車での最後のリアディスクブレーキ搭載車(OEMを除く)であり、尤も、ソシアルに関しては最後の自主開発によるオリジナルノッチバックセダン(OEMを除く)でもあった。

ハッチバックの後継車は事実上ストーリアとYRVであるが、ソシアルに後継はない。またシャレードの上級車種でハッチバックでありながら一見独立したトランクを持つように見えるノッチバックスタイルの5ドアセダンであるアプローズも同時期に廃止され、自社開発のノッチバックセダンは国内ラインナップから消滅した。その後ダイハツが販売しているノッチバックスタイルで独立したトランクを持つセダンはトヨタ・カムリのOEMであるアルティスのみであるが、2009年12月に一旦生産を終了し、ダイハツブランドのノッチバックセダンの販売も2010年2月を以って一旦終了。2012年5月10日、およそ2年振りにアルティスがハイブリッド専用車としてラインアップに復活したことに伴い、ノッチバックセダンの販売が再開された。

1993年8月 - デ・トマソ、1.5L及び4WD追加。
1994年5月 - ソシアル追加。
1995年11月 - マイナーチェンジ。デ・トマソを除いてフロント部変更。
1996年10月 - 一部改良。
1998年7月 - デ・トマソ販売終了。これによりダイハツ車の乗用車でのリアディスクブレーキ搭載車(ただし(トヨタからの)OEMは除く)は姿を消した。
2000年4月 - ハッチバック、ソシアル共に生産終了。以後は在庫のみの対応となる。
2000年5月 - ハッチバック、ソシアル共に販売終了。これにより日本国内向けとしてのシャレードは23年の歴史に幕を下ろした。
2002年8月(補足) - 事実上のシャレードのトールワゴン版にあたるパイザーが販売終了。これにより、シャレードの系譜がすべて消滅する形となった。

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