1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

ブーディカとは?

ブーディカ(BoudicaまたはBoudicca、過去にはBoadiceaなどとの表記も。日本語でもボウディッカ、ボアディケア、ボーディカ、ブーディッカ、ボアディシア、ヴーディカなどと訳される。生年不詳 – 60年/61年?)は、現在のイギリス、東ブリタンニア、ノーフォーク地域を治めていたPケルト言語圏域のケルト人イケニ族の女王である。夫プラスタグス王の死に乗じて王国を奪った(少なくとも彼女はそう判断した)ローマ帝国に対し、数多くの部族を纏め上げ大規模な反乱を起こした。

「ブーディカ」の表記は英語での発音を日本語で音写したもので、様々な表記ゆれが存在する。また彼女と対峙したローマ人たちの用いたラテン語ではボウディッカと発音され、実際こちらの表記の方が当時の実際の発音には近い。

豆知識:イケニ族とは?

赤く塗られた地域がイケニ族が暮らしていた地域。

イケニ族(IceniまたはEceni)は、紀元前1世紀頃から1世紀にかけて、現在のイギリス、東ブリタンニア、ノーフォーク地域に住んでいたPケルト言語圏域ケルト人の部族。

ケルト系の貴族が原住民を支配して王国を形成していた様相がうかがわれる。カエサルのブリタニア遠征以後ローマ文化との接触が始まり,近隣部族との衝突に際してはクラウディウス帝と和議を結んでローマの保護王国となった。

反旗を翻すきっかけ

一応和平を結んでいたとはいえ、超大国の支配地域がすぐそこまで迫ってるのだから油断なんてできないです

なので、国の維持を確固たるものにするために
ブーディカの夫(プラスタグス)は娘二人に共同で国を統治するように遺言を残します。

しかしそれが裏目に出てしまうんです。
ローマでは王位やその財産の相続が許されているのは男のみで、女性がそれを継ぐことは認められていませんでした。
さらに和平を結んだ皇帝はここの約六年ほど前に亡くなっており、現在の皇帝はネロさん になっていました

ローマ「プラスタグス(ブーディカの夫)死んだん?」
ブーディカ「ええ、ですので相続はこの二人の娘に」
ローマ「( ´_ゝ`)フーン。娘ねぇ。」
娘二人「「これからは私たちが王様です」」
ローマ「それ無理じゃね?女じゃん。」
イケニ族「え」

ローマ「だいたいさぁ、あんたらの独立が認められていたのは先代皇帝までじゃん」
イケニ族「ちょ、え?あれは「ローマ」と結んだものでしょ!?」
ローマ「いつそんなこと言ったんだよw。とにかく今のネロ皇帝はそういう考えじゃないから」
イケニ族「マジかよ………」

ローマ「相続する先がないなら、その財産は皇帝の物ってことでいいんだよねぇ!!」
イケニ族「その理屈はおかしい!」
ローマ「じゃあ今日からその土地もローマの物だからさ。よろしくぅ↑↑」
ブーディカ「(は?マジで後で覚えてろよ)」

武力行使へ

反乱の機運の高まる中、紀元60年から61年にかけてローマのブリタンニア総督がウェールズ北部へと軍事行動を起こした隙を突き、ブーディカはイケニ族やトリノヴァンテス族らを率い蜂起する。まずトリノヴァンテスの故地カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)を奪回した反乱軍は、その後ローマの植民市(ローマ人の築いた前線基地を兼ねた都市)を次々と攻略、カムロドゥヌム奪還の為攻撃を仕掛けてきたローマの正規軍団すら打ち負かした。勢いに乗るブーディカ軍はローマの中核都市ロンディニウム(現在のロンドン)、さらにウェルラミウム(現在のセント・オールバンズ)を攻撃し、破壊と殺戮の限りを尽くした。一連の反乱で殺害された犠牲者は7万とも8万ともいわれている。

ローマ帝国の総帥を務めていたガイウス・スエトニウス・パウリヌは出来るだけ早くブーティカの率いる軍に接触しようと、ウェールズから西イングランドへ軍を進めました。

決戦の地にて

南部を逆V字に横切る道がワトリング街道

スエトニウスとブーティカの兵士は英国のミッドランド付近で遭遇しました。これが一番最後の戦いとなります。この戦いは「ワトリング街道の戦い」と呼ばれます。

ローマ帝国側にとっては兵士の数が1対20と圧倒的に不利な状況であったが、それを覆し勝利を得て、グレートブリテン島での影響力を維持することに成功した。

ブーディカには気の毒だが、ローマの徹底した訓練と戦術の前では反乱軍の力は無に等しかった。戦地には、戦いの観察や支援のため、反乱軍の補給車に付き従っていた女性や子どもも来ていたと言われる。

この戦いの後、ブーティカに何が起こったのかは詳しく知られていません。歴史家によると、この後すぐに亡くなったのではないかと言われています。しかし処刑、自殺、病死など彼女の死については諸説があります。

ブーティカはイギリス・マイスの王となり、彼女は兵士達に恐怖心を与えた強い女性として人々に知られています。
また、英国のローマ兵のほとんどを破滅に追いやり、英国の島一帯を残りわずかなところで終わらせるほどの強い力を持っていたのです。

イギリスのアイデンティティとして

ブーディカの名は古代イギリスに勢力を伸ばしていたローマ帝国と戦った女王として知られ、自身と娘たちを辱めた古代ローマに対し民族の誇りを持って戦った故事は国民国家形成期に大陸とは異なるルーツとしてイギリスのアイデンティティ確立に大いに利用された。

ビクトリア朝の時代には当時の女王ヴィクトリアと同じ意味を有する名を持つ伝説の女王としてブーディカの伝記は広く知れ渡った。

あわせて読みたいまとめ

1 2