1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

マリンチェとは?

マリンチェ(La Malinche、1502年頃 - 1527年。没年を1529年とする資料もある)は、スペインのアステカ征服に際しスペイン側に協力したコラボレーターの代表的女性。

首長の娘でありながら、奴隷の身へ

彼女は西暦1502年、南米のアステカ(現在のメキシコ)で生まれました。父親はパイナラという街の王で、マリンチェはお姫様として、蝶よと花よと育てられるはずだったのですが、幼い頃に父が死んだことから運命は狂い始めます。

別の男と再婚した実母は、娘がうとましくなり、隣国のタバスコにマリンチェを奴隷として売り払ったのです。

この境遇により、アステカ帝国も母語とするナワトル語だけでなく、移り住んだ土地のマヤ語にも通じた。

コルテスとの出会い、スペイン語を習得

コルテスは、根拠地にしていたキューバからメソアメリカに上陸した際、最初に上陸したタバスコ州のマヤの都市国家と戦い、これに勝利した。ウマに乗り、鉄砲で武装し、鋼鉄製の甲冑を着ているコンキスタドール軍には、赤子の手をひねるようなものだっただろう。
 その時、タバスコのマヤ首長から恭順の印としてコルテスに献上された女性奴隷の中に、マリンチェが居た。

マリンチェは同じく献上された他の女性奴隷たちとスペイン人に仕えていましたが、元々頭が切れる人だったようで、スペイン語を完全にマスターしてしまいます。

そのことでスペイン人から重宝がられ、コルテス付きの通訳として原住民との交渉ごとに従事するようになります。

ある時、チョルーラという都市国家がアステカと組んでスペイン人部隊を襲おうとしているという情報をいち早くコルテスに伝えました。

情報を聞きつけた部隊はいち早く退避。マリンチェのおかげで命拾いしています。

むろんアステカの内部情報も、彼女から聞かされていたことだろう。
後にスペイン人に書かれた文書には、アステカの皇帝モクテスマ2世と会見するコルテスの傍らに仕えるマリンチェが描かれている。

アステカ滅亡後のマリンチェ

アステカ崩壊後の1年後には、なんとコルテスの子を産んでいます。
単なる主人と通訳という立場を超えた感情があったようです。
ただ、結婚したわけではなく、後に別のスペイン人と結婚しています。
マリンチェはアステカ崩壊後はしばらくコルテスが用意してくれた家に住んでいましたが、
1524年、ホンジュラスの反乱に従軍するために中央アメリカに赴きます。
現地ではやはり通訳を担ったそうですが、そこから記録が途絶えています。
研究者によれば5年以内には死んだのではないか、ということです。

あわせて読みたいまとめ

1 2