この服部半蔵正成は、家康が遠江国に侵攻する時期から武将として彼に仕えたようで、1596年に亡くなるまで家康の勢力拡大を支えました。後述する本能寺の変の後に発生した「神君伊賀越え」を始め、天正壬午の乱や小田原征伐などで活躍している他、家康の長男である松平信康が切腹した際には介錯を担当したものの、主君の命は奪えないとして泣きながらその任務を務められなかったという逸話も残されています。

出典服部半蔵は忍者ではない?本能寺の変後の活躍や子孫も解説! | 日本の歴史の面白さを紹介!日本史はくぶつかん

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仙台密偵のための奥の細道?実は服部半蔵?俳人松尾芭蕉の正体とは?

奥の細道で有名な俳諧師である松尾芭蕉は、歴史上、多くの伝説と謎を遺しています。そのひとつが忍者説であり、あの有名な服部半蔵ではないかという説です。年齢にそぐわない旅した距離や関所をフリーパスできたことは徳川の重要人物でなければできないといった理由からです。夢ある面白い話ですが実際には?

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