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アタワルパとは?

アタワルパ(Atahualpa、ケチュア語族: Atawallpa:幸福な鶏、1502年頃-1533年7月26日、在位:1532年-1533年)は、インカ帝国の実質的に最後(13代)のサパ・インカ(皇帝)である(名目上最後の皇帝はトゥパク・アマル)。父は11代インカ皇帝ワイナ・カパック。マラリアか天然痘であると考えられている伝染病により父帝ワイナ・カパックが亡くなると、異母兄で12代インカ皇帝ワスカルを内戦で破り即位した。

ピサロとの接触

ピサロは、アタワルパに、カハマルカ広場での会見を申し込んだ。
しかし会見は最初から見せかけに過ぎず、ピサロは銃を構えた兵士を広場の周辺に潜ませていた。

ピサロはカハマルカの広場でアタウワルパを迎えると、家の中に請じ入れ、ドミニコ会修道士が皇帝がキリスト教に改宗することを求めて聖書を差し出した。

皇帝は聖書を調べ、「なぜこれは喋らない」と尋ね、地面に放り投げた。この行動はインカには書き文字が無かった事によるものだが、結果的にスペイン人に対しインカと戦うための絶好の口実を与えてしまった。神父が神に対する冒涜だと叫ぶ声を合図に、射撃は開始され、2時間にわたり7,000人以上の非武装のインカ兵が鉄剣と騎兵により殺された。この時使われた鉄砲は先込め式銃であったため発射は数斉射に限られ、スペイン人の戦果の大半は剣によるものだった。アタワルパは輿から引き摺り下ろされ、太陽の神殿に投獄された。

解放条件、そして…

アタワルパは未だスペイン人が彼の帝国の支配を目論んでいることを信じられなかったので、彼らが探している金銀を与えれば自分を釈放し立ち去ると考え、ピサロにエル・クアルト・デル・レスカテという部屋1杯の金と、銀を2杯提供することに同意した。

アタワルパの身代金は金が5720㎏、銀が11000㎏以上だったと言われます。

皇帝の命令で全国から金銀細工が次々と運ばれてくると、スペイン人はかたはしから融かして金銀の延べ棒にしてしまった。しかしピサロは、インディオに反乱の動きがあったので、早く処刑してしまおうと決意した。かつて本国でもう一人の征服者コルテスと会ったとき、アステカ帝国征服の経験から、インディオは王が殺されたらたちまち抵抗できなくなるから、まず皇帝を殺すことだと助言されていたからであった。そこで、アタウワルパを形ばかりの裁判にかけ、皇位の簒奪、公金の浪費、偶像崇拝、近親婚(妹を皇后にしていた)、姦淫(一夫多妻)などの罪名で火あぶりの刑にすると判決した。

インカの宗教では、焼死した魂は転生できないとされているため、アタワルパはこの判決に恐怖した。ここでバルベルデ神父が、キリスト教への改宗に同意するなら判決文を変更するように働きかけるとアタワルパに言った。皇帝は洗礼を受けることに同意し、洗礼名フランシスコ・アタワルパを与えられ、キリスト教徒たる彼の要求に従い、焚刑に代えて鉄環絞首刑(ガローテ)となった。遺体は一部焼かれた上でキリスト教の方式により埋葬された。

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