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【衝撃の伝説】国が認めた公的事実!明治時代の超能力者 長南 年恵

「20歳のころからほとんど食事をとらず、口にするものは生水程度であった」「空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしていた」などと言われている。

更新日: 2019年09月10日

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出典www.ne.jp

1863年12月6日(文久3年10月26日) - 1907年(明治40年)10月29日)

明治時代の霊能者、超能力者。現在の山形県鶴岡市出身。
本名、登志恵(鶴岡市戸籍研究による)

「20歳のころからほとんど食事をとらず、口にするものは生水程度であった」「空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしていた」などと言われている。

彼女が起こしたとされる超常現象

●成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていた。

●元々小食であったが、20歳のころから全く食事をとらず、生水の他は生のサツマイモを少量のみ。

●排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であった。

●空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効いた。

●べつに病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだった。

●神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。

長南年恵は、テレポーテーション(瞬間移動)も自由自在に出来た。目の前から突然いなくなるのである。また、突然現れる。
   
家族の話しによると、いきなり家鳴りがしたり、いつの間にか品物が持ち込まれたりする。

空中でさまざまな音楽が聞こえる。笛、篳篥、鈴などによる合奏である。

その音楽を聞きつけた人達が、家を取り囲むように 群がり、時には警官が何事かと見張りに来ても鳴り続け、その中で年恵はいつもと違った形相で見事な絵画を描いていたという。

1900年(明治33年)7月9日。全国紙新聞記者が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったというお話

1895年(明治28年)、長南年恵は詐欺行為(神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称するを行ったとして)を行ったとして、逮捕された。

山形県監獄鶴岡支署に7月から60日間勾留されたが、証拠不十分で釈放されている。この勾留期間中、様々な現象が起きたたと言われている。

勾留期間、一切の排泄物が無かった。

入浴が許されていなかったが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、良い香りがしたという。

勾留期間、一切食事を取らなかった。

また年恵は何もないところから物品を出現させる、いわゆる「アポーツ現象」を得意としていた。中でも空きビンを水で満たす現象を最も得意としており、その現れた水を飲むと難病も奇跡的に治癒したという。この水は「霊水」または「神水」と呼ばれた。

完全に外部と遮断された監房内で、「神水」「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出したという。

長期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだ。

収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかった。
複数の係官が不思議な笛の音を聞いたという。

ただし以上の現象は監獄側の資料や公式の文書などに記されているわけではなく、年恵側が山形県監獄鶴岡支署長宛に送りつけた「事実証明願」の中でそのような現象があったと主張したものである。監獄側はこの証明願を却下している。

1896年(明治29年)、2度目の逮捕、山形県監獄鶴岡支署に10月10日より一週間拘置される。

1900年(明治33年)、3度目の逮捕、大阪空堀町にある弟の長南雄吉の所に身を寄せている時8月ごろ、新聞記事から騒ぎが大きくなり、10日間拘置される。

これにより確かにその超能力を認めた裁判長は、彼女を無罪放免とした公的事実

1900年(明治33年)12月12日、この拘置に対して、神戸地方裁判所で再審が行われた。判決は証拠不十分を理由とした無罪判決となったが、その後好奇心を持った弁護士たちが長南年恵に個人的な試験を申し込み、それに応じて霊水出現の試験が行われる運びとなった。

封をした空きビンを渡し、空きビンに神水を満たせるかと質問したところ、長南年恵はできるといったという。

この実験の前に長南年恵は全裸にされ、身体を厳重に調べられ、密閉空間の別室に閉じ込められた。

この別室で精神を集中した長南年恵は、5分ほど(長南年恵の弟である雄吉は2分ほどと語っているが、大阪毎日新聞の記事によれば5分ほど)の後に空きビンに濃い黄色をした神水を満たし、裁判長に渡したとされる。裁判長はその水を持ち帰ったという。

裁判の様子を報じた大阪毎日新聞は「神水を天よりたまわるなり、とにかく不思議なり」と伝えた。

法廷においてその超能力と霊能力を発揮し、その力を認めさせた歴史に残る出来事を残した年恵はその後、生まれ故郷の鶴岡へと戻り、43歳でこの世を去りました。死の2ヶ月前には、自身の死を予言していたそうです。この長南年恵について残る記録は、彼女の弟である長南雄吉によるものが多く、後に心理研究家である浅野和三郎がまとめています。

短い生涯の中で、その不思議な能力を発揮し、世に知らしめた長南年恵。その類いまれな生には、未だに多くの謎が残されています。

彼女が入神状態で書いた「龍」の文字

何か不思議な印象を受けます。
彼女には弘法大師・空海が守護霊としてついていたという人もいます。

彼女は44歳に亡くなりますが、
彼女の墓は鶴岡市の山王日枝神社そばの般若寺にあり、
同じく市内の南岳寺にある淡島大明神・長南年恵霊堂には彼女の霊が祀ってあります。

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