全く信じられない情報に、周りの人もただ絶句するしかありません。
もう今まで目にしていた風景は一変してしまった。この先どうなるのだろう…。
精神的な不安と教室の冷たい床が、私の心を蝕みました。

翌日、避難所を後にした私たちは大まかに家の片付けをし、車のガソリンを確保しようと出かけました。
しかし道路はやはり大渋滞。これでは給油するのに一日かかると判断して、家で大人しくしようと布団で暖をとっていました。
するとそこへ、私の母が訪ねてきて「うちに来なさい!」と言ってくれました。
この時ほど家族のありがたみ・暖かさを感じた時はありませんでした。そして実家が近いという状況にも、とても感謝をしたことを覚えています。

実家へ避難してからは、ラジオに聞き耳をたてながら陽が暮れたら寝て、余震に怯えるという生活です。
なにせ電気もガスも水道もストップしていますから、我慢するしかありません。
食糧は近くのスーパーに並べば何とか大丈夫だったのですが、お風呂に入れないのは意外にも辛い経験でしたね。お風呂ってしばらく入ってないと、体や頭が痒くなるのです。

そして震災発生から2週間ほどして、ついに電気がとおりました。
電気のありがたみが、今更ながら実感できた瞬間でした。
電気などのライフラインが復旧してからは、バタバタと活気が戻ってきました。

周辺の地震被害を聞いてみると、私たちの家のすぐそば、約1kmほどのところまで津波が来ていたそうです。
私の住む地域には沿岸部に「東部自動車道路」という盛り土の高速道路があるのですが、そのおかげで被害が軽減されたとのことです。
もしこの道路がなければ私たち家族も津波で被害を受けていたことでしょう。

友人知人に連絡もとりましたが、皆無事だということで安心しました。
しかし前職の職場では、やはり犠牲となった方もいたようでした。
一緒の営業所で働いていたNさんは、荷物が崩れた下敷きとなり、両足を粉砕骨折しました。入院先へお見舞いに行ったのですが、痛みが酷いらしく大変そうでした。
なんとか歩けるようにはなったそうですが、完全には戻らないらしく不自由な日々を送っているようです。
配送でお世話になっていたドライバーさんは、2名の方が津波にのまれ亡くなりました。
どちらも親しく話をしていた方でしたので、全く信じられない知らせでした。

私は、内定していた職を失いました。
理由は震災で被害を受けたから、というものでした。
どうやら津波で建物がやられたらしく、地震前にそこで働いていたら私も危なかったのかもしれません。
職を失った不安はありましたが、今回は不幸中の幸いと捉えてバイトを続けながら就職活動を続けました。

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