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【歴代最強】セリーナ・ウィリアムズとは 「WTA:女子テニス選手」

歴代最強の女子テニス選手としての呼び声高いセリーナ・ウィリアムズ選手のこれまで!

更新日: 2019年09月11日

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歴代最強の女子テニス選手としての呼び声高いセリーナ・ウィリアムズ選手のこれまで!

フルネーム:Serena Jameka Williams

国籍: アメリカ合衆国

出身地:同・ミシガン州サギノー

生年月日:1981年9月26日(37歳)

身長:175cm

体重:70kg

利き手:右

バックハンド:両手打ち

デビュー年:1995年

ツアー通算:95勝

シングルス:72勝

ダブルス:23勝

生涯獲得賞金:90,635,516 USD(19.9.10)

生い立ち

1981年9月26日、アメリカミシガン州で
生まれたセリーナウィリアムズ。
父、リチャード・ウィリアムズと母、オラセン
プライスの間に5人姉妹の末娘として生まれました。

5人姉妹と言っても異父姉妹で、上の3人と
下の2人で父親が違います。

この夫婦の間に生まれたのは、4番目の姉ビーナス
ウィリアムズとセリーナ・ウィリアムズという
ことになります。

セリーナがテニスを始めたきっかけは、姉の
ビーナスウィリアムズが生まれる2年前、父の
リチャードがテレビで、テニスの試合の勝者が
4万ドルの小切手を受け取るところを見かけたことから。

本格的なトレーニングが始まったのはセリーナが3歳の頃。

リチャードとオラセンは、有名な選手のビデオを
観たりテニス雑誌を読むなど、コーチにも話すなど
して独学でのテニスの教え方と技術を身につけたそうです。

一家はロサンゼルスのワッツから
コンプトンへ移り住みます。
そこは、経済的に低迷していて治安は悪く
銃撃を目にすることもあるような土地でした。

学校が休みの時は朝8時から午後3時までひたすら
練習ということもあったそう。

姉妹はこれを苦に感じることはなかったそうで
いつも練習を楽しみにしていました。

セリーナがはじめて試合に出たのは、4歳半の時でした。
その頃からジュニアトーナメントへ参加し始め
5年の間に49試合中46試合勝利するという大きな
成果を残しています。

凄惨な事件も。。

3人の姉のうち、リンドリープライスは現在
ウェブデザイナーで、イーシャプライスは
弁護士として活動しているそうです。
そして、もうひとりの姉イェツンデプライスですが
2003年9月ロサンゼルス郊外で銃で撃たれて死亡しています。
看護師の資格を持っており、姉妹のマネジメントにも
かかわっていたそうです。
事務所によると、男友達と車に乗っていた際に
トラブルに巻き込まれたようで、周辺の住民は
6~20発もの銃声を聞いたそうです。

この事件が原因となって当時絶好調だったセリーナ姉妹は
2003年後半には姉妹揃って体調を崩し、試合を欠場しています。

1995年プロデビュー!!

5人姉妹の末娘であったセリーナは、幼年期から4女の姉ビーナス・ウィリアムズを上回る素質があると評されていた。1998年にはシングルスに先立ち、ウィンブルドンと全米オープンの混合ダブルス部門においてマックス・ミルヌイ(ベラルーシ)と組み、2大会連続優勝を遂げる。

1999年2月末の「パリ・インドア選手権」と3月前半の「エバート・カップ」で女子ツアーのシングルス2大会連続優勝を飾り、続く「リプトン国際選手権」で姉ビーナスとの“姉妹対決の決勝”に敗れたが、「16連勝」を挙げて世界の舞台に名乗りを上げた(プロ初優勝のパリ・インドア決勝では地元フランスのアメリ・モレスモを破り、エバート・カップ決勝では12歳年上のシュテフィ・グラフを破っている)。

1999年の全米オープンで、「17歳11ヶ月」の若さで4大大会初優勝を達成。決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 7-6 で破り、1958年全米選手権のアリシア・ギブソン(1927年 - 2003年)以来2人目の黒人女性チャンピオンとなった(ギブソンは1957年と1958年の全米選手権で大会連覇を達成した人物である)。

姉よりも早くシングルス初優勝を決めたが、ビーナスは2000年のウィンブルドン選手権で妹に追いついた。

2000年-2003年 グランドスラム4連続優勝

セリーナはその後、しばらく姉ビーナスの活躍の陰に隠れていた。2001年の全米オープンで初めて「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させるが、最初の時は姉に 2-6, 4-6 で敗れている。

2002年の全仏オープンから2003年の全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させ、妹のセリーナが4連勝を果たした。テニス4大大会の4連勝はシュテフィ・グラフ以来6人目の偉業達成となった

しかし2003年全仏オープンの準決勝でジュスティーヌ・エナン・アーデンに敗れて連勝記録が止まる。続くウィンブルドン選手権でもう1度姉妹対決の決勝を戦い、この時も妹のセリーナが勝利した。その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場した。

2004 - 2007年 怪我、そして復帰

セリーナは2004年のウィンブルドン選手権決勝で17歳のマリア・シャラポワに敗れ、大会3連覇を逃した。

しかし2005年の全豪オープン決勝でリンゼイ・ダベンポートを破り、2年ぶり2度目の優勝を果たす。

2006年は故障のため試合出場が少なかったが、2007年の全豪オープンでは世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がった。決勝で(3年前のウィンブルドン決勝で敗れた)マリア・シャラポワを 6-1, 6-2 で破り、3度目の全豪優勝を達成。これでセリーナの4大大会シングルス優勝は「8勝」となった。

2008 - 2010年、再び世界ランキング1位に!!

ウィンブルドンにおいて、セリーナとビーナスは5年ぶりに「4大大会の姉妹対決決勝」を復活させた。セリーナはこの大会の第6シードとして、準々決勝でアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)、準決勝で鄭潔(中国)を破って勝ち進んだ。決勝戦では姉のビーナスに 5-7, 4-6 のストレートで敗れ、2007年全豪オープン以来の4大大会シングルス優勝を逃した。

2009年全豪オープンで、セリーナは決勝でディナラ・サフィナを 6-0, 6-3 で圧倒し、2年ぶり4度目の全豪優勝を決めた。これでセリーナの4大大会女子シングルス優勝は「10勝」

。ウィンブルドンで、セリーナはビーナスとの2年連続の姉妹対決決勝を 7-6, 6-2 で制し、6年ぶり3度目の優勝を決めた。

これで4大大会の姉妹対決決勝戦は、妹セリーナの「6勝2敗」となった。全米オープンでは準決勝でキム・クライシュテルス(ベルギー)との試合中、ゲームカウント 4-6, 5-6 の15-30となったところで、フットフォルト(2ndサーブ)を取られ(この時点で15-40)、その判定への不満から線審に暴言を吐き、ポイントがクライシュテルスに入り、そのまま敗れた(セリーナは第1セットを取られた瞬間もラケットをコートに叩き付け破壊しており、注意が与えられていた)。

この一連の行動にテニス界史上最高額の罰金8万2500ドルの処分を受けている。

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