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くさい飯とは失礼である~日本人の命をつないできた麦飯について

日本人が古来より主食としていたのは米である、というのはよく調べてみると全くの見当違いで実際は粟、稗、麦などの雑穀を食べて私たちの祖先は生き抜いてきたようです。刑務所で出されるくさい飯、こと麦飯なんかもかつては日本人の常食でした。

更新日: 2019年10月06日

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「貧乏人は麦飯を食え」と言って非難に晒された政治家がいた

戦後間もない頃、「貧乏人は麦飯を食え」と国会で言い放ち、国民の激怒を買った大蔵大臣(現在の財務大臣)がいた。
のちに総理になった池田勇人氏だ。

もっともこれは新聞の大きな歪曲報道だったのだが・・

「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」という発言を当時の新聞が改ざんして報道した言葉。)

池田勇人は「貧乏人は麦を食え」とは言っていない。池田の大蔵大臣の時の発言は「国民は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食う、というような経済の原則にそったほうへ持って行きたい」、これを当時の吉田政権に批判的だった新聞が「貧乏人は麦を食え」と大きく報じた。

刑務所の「くさい飯」などと揶揄されてきた麦飯

刑務所にはいると、「くさいメシ」を喰うなんて言われますが、
それは麦飯が出ることから、そういう表現が使われてます。

日本の刑務所では、近代の懲役刑の導入とともに麦飯が導入され、米:麦=7:3の比率のものが標準とされている。

しかし日本人が古くから食べていたのは白米ではなく麦飯やかて飯だった

かて飯=米に他の穀物や野菜・海藻などの食品を混ぜて炊いた飯。

日本人の古来よりの主食は米と考えられてきたが、実際の日常食は麦飯の他、かて飯といって米に他の穀物や野菜、海草などを加えて共に炊飯したもの、あるいは粟、稗など米以外の穀物のみを炊飯したものが普通だった[2]。

歴史上は人口のほとんどが農民だった日本国民

関山直太郎『近世日本の人口構造』によると、江戸時代末期の日本、約3200万人の人口のうち、約84%が百姓だったそうだ。

第2次世界大戦の前まで日本は貧しい農民の国だった

日本は明治維新後、急激に工業化をすすめたが、国全体を見れば、「貧しい農村社会」だった

戦前、ほとんどの農民は小作農として貧しかった。

昔から農民の食事といえばアワ、ヒエ、麦であった

明治以降は商品として売るものになっていた。

戦国時代の農民は米を作ってはいたのですが主食として実際に食べていたのは「キビ」や「あわ」や「ひえ」といった穀物のようです。

人口の8割を占める地方の百姓は収穫した米の半分を年貢に取られ、麦や粟、野菜を混ぜた雑炊を食べていた。

明治政府は「兵隊になれば白米が食えるぞ」といって兵隊を募集した

明治政府は、円滑な徴兵のために「兵隊になれば白米が食えるぞ」といって宣伝した。
それくらい白米の飯は、庶民にとって高嶺の花であった。

1日3食は正しくない headlines.yahoo.co.jp/article?a=2019… 全国的に1日3食が定着したのは、明治維新後に軍隊ができたのがきっかけでした。兵隊を集めるため「白米が毎日3回食べられる」ことを売りに、貧しい農家の次男坊や三男坊を募集したのです。

多くの日本人が米飯を食べられるようになったのは第2次大戦のあとである

多くの日本人が米飯を自由に食べられるようになったのは、第二次 大戦後のことである。

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