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電波少年でヒッチハイクした芸人たちの今!!明暗が分かれる・・・

一世を風靡した「進め!電波少年」のヒッチハイク!ヒッチハイクをしたコンビの今は・・・明暗が分かれるコンビたちの今・・・

更新日: 2019年10月22日

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Happy-natuさん

伊藤 高史

1998年1月から約1年間、日本テレビ系の『進ぬ!電波少年』にチューヤンと“朋友”というコンビで、南アフリカ共和国・喜望峰からノルウェー・スレットネス灯台までヒッチハイクの旅をする「電波少年的アフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイク」挑戦者として出演

引き続き同番組でハリウッドデビューに挑戦する企画「電波少年的ハリウッドスターへの道」に朋友としてではなく、単独で出演。渡米したが数日でリタイヤし、電波少年関連の企画は終了となった

伊藤さんは男女12人の俳優・女優の卵たちを前に、ワークショップの真っ最中だった。名刺には「ウルトラマンション 主宰」の肩書。「ウルトラ~」は劇作家で俳優の安藤亮司と立ち上げた劇団で、劇団員は12人

時代劇『お江戸のおもちゃ』(アトリエファンファーレ東池袋)の脚本、舞台『MIANEYO』(シアターブラッツ)は脚本と演出も手掛けています

人気ボーカル・ダンスユニット『GENERATIONS from EXILE TRIBE(ジェネレーションズ・フロム・エグザイル・トライブ)』が行っている5大ドームツアー『少年クロニクル』の映像ナレーション脚本を担当

有吉弘行

1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となりブレイク

帰国後、CDや著書が爆発的に売れるも、肝心のお笑いで結果を残すことができず、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減。本人によれば「天狗」になっており、あまり人に好かれていなかったようだと言う

2004年、猿岩石を解散、ピン芸人として活動を始める。このころから、『内村プロデュース』に度々出演するようになり(最初の内は猿岩石として、解散後には有吉が一人で)、これが久方ぶりの全国ネット番組への出演となり、復活へのきっかけとなった

その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において、出演総本数499本で1位となった

有吉との近況を問われると「電話したらつながらなくて、メールの返事もない。一応、『復活します』とメールで報告はしています。もう10数年、会ってないですね」とポツリ。報道陣から不仲を心配されると「仲悪いわけではないけど、良くもない。幼なじみなんで照れくさい感じですかね」と笑いながら否定し「なにか言いたいこと? ないですね、地元の誇りですよ」と話していた。

元・猿岩石の森脇和成のコメント

猿岩石すべてヒッチハイクではなかった

猿岩石は全行程をヒッチハイクだけでゴールしたとされていたが、道中で3回ヒッチハイクでない飛行機を使っていたことが判明した。ルートの途中には国境での外国人入国禁止となった国や内戦や治安が悪いところがあり、大事をとって飛行機に乗ったものとしているが、番組では判明するまで全く触れていなかった。日本テレビの氏家齊一郎社長(当時)は「(バラエティという)番組の性質上、倫理とか道義的な責任はないと考える」とコメントし、各方面から非難を受けた。

ドロンズ石本

タレント活動、大島は俳優業の傍ら、ちりとり鍋の店「ちりとり鍋 大島」の店長(オーナー)として活躍。石本ものちに馬肉専門の店「馬肉屋たけし」を開業する。店は「大島」が恵比寿西、「たけし」が恵比寿にある。現在大島の店は経営を譲渡し閉店。大島秘伝のちりとり鍋は石本の店のメニューに加えられている

現在も交流があり、プライベートでは一緒に食事をすることも多く、誕生日等のイベントでは互いの店で打ち上げをする仲。解散前に比べると頻度は大きく落ちるが、まれに仕事でも共演することがある

2015年、家族と店を失った大島はタレント・俳優として、再スタートをして活動。別れた妻子とは現在もまれに顔合わせをしている。

2015年12月、母親が肺がんに罹っていることが判明。既にステージⅣであったことから俳優業を中断し、アルバイトをしながら介護にあたった。2017年7月に母親が死去した後は、介護経験を踏まえた講演会などをこなしながら俳優業への復帰を進めている

元ドロンズ 大島

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