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空母『赤城』発見!赤城はどのように沈没したのか

故ポール・アレン氏のチームが、沈没した旧日本海軍正規空母『赤城』を発見。空母『赤城』の最期をまとめてみました。

更新日: 2019年10月25日

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この記事は私がまとめました

空母『赤城』の最期の状況を重点的にまとめてみました。

kamenekoさん

ミッドウェー海戦で沈んだ、旧日本海軍の空母「赤城」と見られる沈没艦を発見したと、故ポール・アレン氏の調査チームが日本時間2019年10月21日(月)午後、Facebookにて公表しました。

この時点で空母『赤城』か『蒼龍』の可能性がありましたが、『赤城』と特定された様です。

深海探査や歴史の専門家で構成する米調査チームが、第2次世界大戦中のミッドウェー海戦で沈んだ旧日本海軍の空母「赤城」を発見したと発表した。

調査船が搭載したソナーには幅30メートル、全長およそ260メートルの巨大な船体が海底に横たわる映像が映し出されています。

海底の物体が、ついに赤城と特定されたようです。

調査船を運航するバルカンの発表によると、残骸は20日、自律型海底探査機を使った海底探査で発見され、ソナー画像と赤城が沈んだ地点に関する情報を照らし合わせて、残骸が赤城であることを確認した。

赤城はハワイの真珠湾からおよそ2000キロ北西に位置する太平洋中部のパパハナウモクアケア海洋保護区で、深さ約5000メートルの海底に沈んでいた。

旧日本海軍空母『赤城』とは

基準排水量36,500英トン
公試排水量41,300トン
全長260.67m
飛行甲板249.17m×30.48m
乗員最終時 1,630名

空母の艦橋は通常、飛行甲板の右舷側にありますが、『赤城』の特徴として左舷側にありました。
ちなみに『飛龍』も左舷側にありました。

軍艦赤城は、天城型巡洋戦艦の2番艦として起工された未成艦を空母に改造されたもの。三段式空母として完成したが、後に一段全通式空母に改装された。1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で沈没した。

被弾の状況

急降下爆撃がはじまってから面舵にて回避に努めたが2発が命中、1発が至近弾となった。

各艦の注意が低空に向いていた日本時間午前7時26分、赤城は米空母エンタープライズから発進した艦上機SBD ドーントレスの急降下爆撃を受ける。

ディック・ベスト大尉率いる第六爆撃飛行隊のSBDドーントレスが赤城の攻撃を開始しました。

至近弾となった最初の1発は艦橋左舷数十mで炸裂、命中した2発は1発目が中部エレベーター付近に命中し、飛行甲板を突き破って格納庫内で炸裂。

2発目が左舷後部甲板縁で炸裂、舵は取舵20度で固定し、赤城は旋回しかできなくなる。

赤城の飛行甲板にいた牧島カメラマンによれば、初弾が左舷艦橋附近至近弾、次発が飛行甲板中央命中、三発目が艦尾至近弾となり、飛行甲板後部がめくれあがったという。

艦橋にいた増田飛行長や橋本信号兵曹も、三発目は命中弾ではなく艦尾至近弾と回想している。

この攻撃で多数の戦死者を出しましたが、魚雷攻撃は受けておらず、艦内では各員が奮戦して復旧作業をしており、航行可能な状態でした。
(写真はイメージ USS Ticonderoga)

三浦航海長が罐室から機械へ送る蒸気を止めたため、午前7時42分に赤城は洋上に停止。

乗組員は炎上する飛行甲板にいられず、前部錨甲板か後部甲板に追い詰められてしまう。

艦橋にも炎に追われた乗組員が逃げ込んだが、その艦橋にも逆立ちとなった炎上零戦から延焼し、南雲中将や草鹿龍之介参謀長ら司令部は艦橋前面の小窓から飛行甲板に下りた。

彼らは艦首前甲板に移り、短艇で赤城を脱出し、午前7時46分に南雲第一航空艦隊司令長官と司令部人員は軽巡洋艦長良(第十戦隊旗艦)に移乗した。

退艦命令発令

当時赤城雷爆兵器員だった秋本勝太郎によると、総員退艦命令が出たころ、機関科は健在で火災が鎮火し次第いつでも動く状態だったという。

午前8時20分、青木泰二郎大佐は火勢が強まった艦橋から飛行甲板前部に移ると、負傷兵の駆逐艦移乗を命じる。

この時点で格納庫内の魚雷と爆弾の誘爆により飛行甲板は大火災となり、艦長以下幹部達は艦首錨甲板(飛行甲板と船体の間)に追い込まれた。

午前9時3分、赤城はなぜか自然に前進をはじめ、右回りに円を描いた。

正午ちょうどに前部格納庫で再び大爆発が起きた。

午後1時、赤城の青木艦長は赤城は一部の乗組員を野分や嵐に移乗させた。

それでも青木艦長は赤城を救おうと努力し、午後3時20分には機関部の復旧を試みたが、ガスと熱気のため作業不可能であった。

そして沈没…

午後4時20分、赤城の機関長の「自力航行不可能」の報告をもって青木艦長は総員退去を決定した。自沈のため、駆逐艦の魚雷発射を要請した。

6月6日午前2時、第四駆逐隊各艦(航行順は嵐、野分、萩風、舞風)は赤城の右舷に対し各1本を発射した。4本の魚雷のうち2ないし3本が命中。

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