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この記事は私がまとめました

ほんとに凄いです。藤井くんは8冠を独占することができるのでしょうか。

リックーさん

■羽生善治(七冠独占)

1996年、25才の時にタイトル全てを同時に獲得、史上初の七冠王になり、社会現象ともなる羽生フィーバーが起こりました。その後もタイトルを保持し続けて将棋界の第一人者として君臨しています。

あのころは凄かった。誰でも羽生の顔を知ってたね。女の子との飲み会でも「羽生ごっこ」が一番盛り上がったからね。ギョロ目(ややイケメン)がメガネかけるだけで、キャーキャー盛り上がったもんな。

そんなこともありましたね。

羽生の獲得タイトル数は2017年に99期となりました。19才で竜王を獲得してから、28年後の現在まで202回のタイトル戦があったのですが、その約半分を獲得したわけです。

2007年にチェスのプレイヤーの実力を表すレーティング値が国内最高値となり、羽生善治氏がランキングの上でも日本国内で最も強いチェスプレイヤーとなりました。
それ以降もほぼ国内では1位か2位のレーティングを保持しています。

チェスも最強

■大山康晴(五冠独占)

この人も有名。ずっとタイトル独占してました。w w

1959年 - 1966年(昭和34年 - 昭和41年、36歳 - 43歳)頃はタイトル棋戦でほぼ無敵の極盛期であり、1962年 - 1970年(昭和37年 - 昭和45年)頃も四度、五冠王になった。

1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけてはタイトルを19期連続で獲得し、その間、他の棋士達にタイトルを一つも渡さなかった。

生涯現役を貫き、A級の地位を守ったまま1992年(平成4年)7月26日に死去した。

タイトル戦連続登場 50回(歴代1位、1957年度名人戦 - 1967年度十段戦)名人在位 18期(歴代1位)名人最年長挑戦 63歳 2か月(歴代1位)

記録も盛りだくさんです。63歳でA級優勝(名人挑戦)はやばすぎるwww

■升田幸三(三冠独占)

若いですね。大山康晴名人とは兄弟弟子でありライバルでした。

タイトル戦でなかなか大山に勝てなかったが、1957年、ついに大山を倒して将棋史上初の三冠(名人・王将・九段)制覇を成し遂げた時「たどり来て、未だ山麓」との言葉を残す。

かっこいい

魅せる将棋」を大切にし、既成の定跡にとらわれず「新手一生」を掲げ、常に序盤でのイノベーションを数多く起こした。

その功績を記念して、毎年行われる将棋大賞にて、新手や新戦法を編み出した棋士を表彰する「升田幸三賞」が、升田の没後3年余り経った1995年(1994年度)から設けられている。

日本の敗戦後、アメリカGHQの高官から将棋に難癖を付けられるがやり返す。これがなければ日本にチェスが普及していたかもしれない。名人に香を引いて勝つという前代未聞の記録を打ち立てる。また、政界にも顔が広く、文化人としての顔も持っていた。

GHQのとき5時間喋り倒したらしいですね。

■中原誠(六冠中五冠獲得)

めちゃくちゃ惜しかったので入れました。当時は棋聖戦が年に二回あったので実質六冠は達成してます。

中原誠十六世名人は1947年9月2日生まれで、四段昇段は意外に遅く18歳のとき(1965年10月1日付)。

意外と遅いですね

中原誠十六世名人は1967年度、歴代最高勝率である8割5分4厘5毛という記録を残し、途方もないほどに勝ちまくりました。

大山名人はその頃に「50期連続でタイトル戦に登場する」という記録を作っていますが、その連続出場を止めたのが中原五段なのです。

大山康晴を止めたのがこの男、中原誠なのです。

1977年度末、第4期棋王戦で加藤一二三棋王に挑戦してきたのは、中原誠五冠(当時)でした。このシリーズは中原誠五冠による全冠制覇がかかっていたシリーズであり、その阻止の役目を担ったのがひふみんでした。

ひふみんなんですねww

周囲からの注目が相当なプレッシャーになったことは想像に難くありませんが、結果は3連勝で防衛に成功し、中原誠五冠による全冠制覇を阻止します。

凄いw

さらにはその約1年後、1978年度の第28期王将戦で再び中原五冠と立場を変えて激突します。

その前年に六冠全制覇に失敗した中原五冠ですが、その後は保持していたタイトルを全て防衛していました。

つまりその年も、再び六冠制覇の偉業を成し遂げ得たかもしれない勢いでしたが、ひふみんは4勝1敗の堂々たる勝ちっぷりで王将位を獲得します。

ひふみん凄すぎるww

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