1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

SK21さん

▼大嘗宮の儀とは

天皇陛下が皇位継承に伴い、一世に一度だけ行う皇室伝統の大がかりな神事、大嘗祭(だいじょうさい)が11月14日夕から翌日夜明け前まで、皇居・東御苑で古式ゆかしく行われる。新天皇が神々に新穀をお供えし、国家・国民の安泰と五穀豊穣(ほうじょう)を感謝し祈る。奈良時代以前から続く“神秘的”な皇室行事である。

新米の収穫地を亀甲で決める秘儀

大嘗祭の関連行事は半年前に始まった。その最初は、今年5月13日に皇居の宮中三殿で行われた「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」。大嘗祭で使う新米の収穫地(斎田)の地方を決める儀式だ。

カメの甲羅を焼いて占う「亀卜(きぼく)」という非公開の秘儀で決められた。東京都・小笠原から調達したアオウミガメの甲羅を将棋の駒の形に切り取り、薄く削った亀甲を火であぶって、ひび割れを見る占い。亀卜は701年の大宝律令(りつりょう)の頃に記録が残る、とても古い占いだ。

その結果、東日本の収穫地は栃木県、西日本は京都府に決まった。東西の二つの地区から選ぶことになっており、東日本は「悠紀(ゆき)地方」、西日本は「主基(すき)地方」と呼ばれる。

▼栃木・高根沢と京都・南丹で新米の稲刈り

大嘗祭に使う新米の稲刈り「斎田抜穂(ぬきほ)の儀」が9月27日に栃木県と京都府の斎田で行われた。これに先立ち、宮内庁が同18日、斎田について「悠紀田(ゆきでん)」は栃木県高根沢町、「主基田(すきでん)」が京都府南丹市の耕作者(大田主=おおたぬし)の水田に決定した。

▼中心的儀式は「大嘗宮の儀」

大嘗祭の中心的儀式が11月14日夕からの「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」で、二つの儀式が同じ所作で繰り返される。皇居・東御苑にこの儀式のために設営された大嘗宮で、暗闇に包まれた午後6時半に始まる。電気の明かりは使われない。

白い祭服を着た陛下がほのかな明かりの中、中核儀式が行われる祭場殿舎の「悠紀殿(ゆきでん)」に入る。「悠紀殿供饌(きょうせん)の儀」と言われる儀式で、奥に入った陛下は灯明の中、皇祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)の「神座」と向き合う形で座る。悠紀田の新穀で調理した神々へのお供え、アワビの煮物などや、白酒(しろき)黒酒(くろき)を、陛下はご自分で次々と神座にささげる。次に、神々に国家・国民の安泰と五穀豊穣に感謝し、祈る御告文(おつげぶみ)を読み上げ、続いて直来(なおらい)として同じものを召し上がる。

皇后さまは同じ白い十二単(じゅうにひとえ)姿で、悠紀殿のすぐ近くの殿舎で拝礼する。秋篠宮ご夫妻ら皇族方も古装束で参列する。

陛下は約3時間の儀式を終えて、休憩をとる。15日午前0時半から、もう一つの祭場殿舎「主基殿(すきでん)」に入り、同じ所作で「主基殿供饌の儀」を行う。

▼大嘗宮とは

大嘗祭のために仮設される祭場。5日間で建てられ,祭後ただちに撤去される。悠紀院,主基院を設け,それぞれ正殿は黒木造 (皮つき柱) 掘立柱,切妻造妻入りで建てられ,屋根は青草ぶき,天井にはむしろが張られる。内部空間は室と堂の2室に分けられ,社殿形成期の神社の形式を示すものとされる。応仁・文明の乱ののち9代 222年間は中断したが,貞享4 (1687) 年東山天皇のときに再興された。 1971年には大嘗宮と推定される遺構が平城宮址朝堂院跡から出土,元正天皇,聖武天皇,称徳天皇3代のものと推定されている。

1