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オーストラリアは元々イギリスの流刑地だった~実は今でも国家元首は英国女王

オーストラリアというのはもともと大英帝国が流刑地として罪人を送る島だったそうです。それがいつの間にか発展して独立戦争などをせずに平和的に本国から独立した国なのだそうです。その辺の経緯が面白いのでまとめました。

更新日: 2019年12月02日

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日本人にも人気が高いオーストラリア

オーストラリアの観光スポットのNo.1
エアーズロック

恵まれた自然と広大な大地を誇るオーストラリアは昔から日本人に大人気な観光国。

昔はイギリスの流刑地だった

かつてオーストラリアはイギリスの流刑地だった。2007年から2010年までオーストラリア首相を務めたケビン・ラッド氏の祖先の一人は、下着泥棒の罪で流刑されてきた路上生活者だった。現在のオーストラリアでは流刑者の祖先を持つのは名誉とされる

17~18世紀、イギリスの都市部では犯罪が多発していた

産業革命により生産性が高まった反面、失業者や低賃金労働者が多く生まれ都市部で犯罪が多発した。

1780年代のイギリスは、エンクロージャーによる土地喪失者、産業革命による失業者などが都会に集まって犯罪者の数が激増した。

18世紀に始まった産業革命により、イギリスの都市部には労働者や失業者が集中し、犯罪が多発するようになりました。

イギリスの監獄・刑務所は満杯になってしまった

当時のイギリスではスリや窃盗、店での万引きでも死刑になった。

当時(1700年代から1800年代)イギリスでは窃盗でも死刑になる程、刑罰が厳しく監獄・刑務所は定員を遥かに超し超満杯の状態にあった。

当時のイギリスでは軽犯罪であっても収監するという法制度がなされていたのもあいまって、イギリス国内の収容施設はどこも満員という状況でした。

それまでイギリスは罪人をアメリカ大陸に流刑にしていたのだが・・

イギリスでは17世紀以来、流刑判決を受けた罪人を北米植民地へ移送し、労働力として現地の地主に売却するという制度があった。

イギリス政府は、アメリカを流刑地として選び、本国に居ることができなくなった人間や、犯罪者、荒くれどもを入植させていったのです。

1776年アメリカが独立し流刑先の土地を失った

アメリカ独立戦争の勃発により、イギリス政府は罪人の移送先を失ってしまう。

替わりにイギリス本土の罪人の流刑地になったのがオーストラリア

独立戦争によって、アメリカの流刑地を失ったイギリスは、これに替わる新しい流刑植民地をオーストラリアに求めた。

テムズ河畔の監獄船。当初は流刑のため植民地へ囚人を送るための船舶だったが、アメリカが独立し送り出すべき流刑先が失われるとそのまま係留され、刑務所となった。船内の衛生状態は最悪であり、多くの囚人が病死した。18世紀末になると新たにオーストラリアが流刑先となり、監獄船の数は減少した。 pic.twitter.com/GyAyTnIs0e

イギリスの囚人たちが大量にオーストラリアに入植してきた

開拓初期の時代には、先住民以外の住民は、ほとんどが新しい植民地を開拓するための労働力としてイギリスから船で送られて来た囚人でした。

1788年から囚人移送が終了する1868年までの80年間に合計16万4千人のイギリスの囚人が806隻の船で豪州に送られる。

イギリスからの入植者は先住民族アボリジニーを厳しく迫害した

欧州人の持ち込んだ疫病や大量虐殺によりアボリジニ人口は90%以上も減少してしまった。

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