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La storia di Panda「パンダ(セリエ1)」

1980年から販売された平面ガラスで構成されたスタイルが斬新なフィアットの「パンダ(セリエ1)」を紹介します!

更新日: 2019年12月01日

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WLM64さん

La storia di Panda

オイルショックによる打撃とともに1970年代半ばにフィアット社は副社長で実務を執り行っていたウンベルト・アニェッリ(Umberto Agnelli )の下で組織運営に多くの問題を抱えていた。これを解決するためにウンベルトの幼馴染で実業家のカルロ・デ・ベネデッティ(Carlo De Benedetti )が社外から招かれ、1976年4月に副社長に任命された。それまで自動車部門への投資を抑制する方針で1974年から1978年までの期間に新型車の発表がなかった同社の状況の中でデ・ベネデッティは即座に3種類の新型車の開発と社内の業績不振部門の切り捨てを発表した。

1976年7月デ・ベネデッティはイタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロを訪ね、フィアット・126のエンジンを使用した安価で簡単な構造の十分な室内空間を持つ新型車の要望を伝えた。デ・ベネデッティの「フランスの車のような感じ」という言葉をシトロエン・2CVのことだと理解したジウジアーロは、126と同等の重量と生産コストの小型車の設計に取り掛かった。ジウジアーロにしては異例なことにバカンスの期間も作業にあたり12月に最初のモックアップが完成した。翌年早々に2台がフィアット側技術陣に披露され、2月にはこの2台から採用案が選び出された。

1980年発売当初のラインナップはパンダ30(652cc、縦置き空冷2気筒OHVエンジン、イタリア国内専用モデル)とパンダ45(903cc、横置き水冷4気筒OHVエンジン)の2種が用意された。いずれもガソリンエンジンであった。モデル名につく数字は、当時のフィアットでの命名規則にしたがって、搭載エンジンの馬力をあらわしている。

いずれも、鉄板グリル と呼ばれる左右非対称形状のフロントグリルを備え、室内では、パイプフレームに布を張ったハンモックシート を採用していた。ボディは左右2ドア + ハッチバックの3ドアを基本とし、ハッチバックの代わりに観音開きドアを持つバンタイプも用意された。

1982年には843cc直列4気筒エンジンを積むパンダ34と、45をベースとしたスーパーの2モデルが新たに設定された。このうちスーパーは45の豪華版という位置付けで、特徴的な鉄板グリルに代わり樹脂製の柵状グリルを採用されたほか、シートも一般的なものに換装された。また、前後席で独立したキャンバストップのルーフを持つダブルサンルーフを搭載した、オープンカーのように開放的なモデルも存在した。

エンジン横置き前輪駆動車をベースとした市販車としては世界初となる四輪駆動モデル4x4(フォー・バイ・フォー)を1983年に追加。このパートタイム式の四駆システムはオーストリアのシュタイア・プフとの共同開発によるものである。

オイルショックに伴い、燃費面で有利なコンパクトカーの開発が各社で行われていた1970年代、ティーポ セロ(タイプ ゼロ) と呼ばれるフィアット社内のプロジェクトを元にフィアット・126とフィアット・127の一部を置き換えるべく誕生したのが初代パンダである。

このモデルは、当時経営状態が芳しくなかったこともあり、フィアット史上初めて、開発を全面的に外部委託した車となった。その開発を担当したのは、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタリアのカロッツェリア・イタルデザインである。

開発、製造コストの低減のため、すべての窓を平らな板ガラスとするなど、ボディーは直線と平面による構成となったが、パッケージングの鬼才と言われるジウジアーロらしく、簡潔ながらもスペース効率にも優れたスタイリングとなった。(ジウジアーロ自身が、当時、自分の最高傑作だと述べている。)

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