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800人がウイルス感染...知的障害児施設で行われた人体実験【ウィローブルック肝炎研究】

1956年から1972年にかけて、アメリカ最大の知的障害者施設で行われた人体実験。別名「ウィローブルック事件」。アメリカンホラーミステリーの題材ともなっている。研究内容や世間の声、関連映画まで。

更新日: 2020年06月19日

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古いものから最新のものまで、国内外の事件・事故を中心に取り上げています。

spotted_catさん

【ウィローブルック肝炎研究】1956年 - 1972 ニューヨーク州

ウィローブルック研究とは

ニューヨーク大学のソール・クルーグマン博士とその研究チームが、1956年から1972年にかけて、ニューヨーク州・スタッテン島にある国営の知的障害児の施設「ウィローブルック州立学校」において、入所者に肝炎ウイルスを人為的に感染させるために行った人体実験。一部では「ウィローブルック事件」とも呼ばれている。

施設には最大で6000人の入所者が

ウィローブルック州立学校は、1949年には入所者が200人程度であったが、収容者数は年々増加の一途をたどり、1963年には6000人以上にものぼった。IQ20以下の重度知的障害児の割合が高く、入所者の約73%を占めていた時期もある。

1947年 - 1987年

アメリカ最大の障害者施設。

劣悪な衛生状態

施設の衛生状態は非常に悪く、麻疹・呼吸器感染・赤痢・さまざまな寄生虫病などのほか、入所者の約半数がトイレの用を自分で足せなかったため、便から経口感染する肝炎が広く蔓延。1953年から1957年までに入所者の間で350例、職員の間で76例の肝炎発症が報告され、感染率は入所者で25/1000、職員で40/1000にものぼった(ニューヨーク州の平均感染率は25/10万)。

研究概要

1911年アメリカ・ニューヨーク州生まれ。1995年没。
B型肝炎のワクチンの開発者。
「ウィローブルック肝炎研究」の主導者。
肝炎予防の第一人者であるが、人体実験において800人以上の被験者が肺炎に感染し死亡した。
1983年にはアメリカ医学会において最高の賞「ラスカー賞」を受賞。

研究方法は生体実験のみ

当時はまだ肝炎の病原体であるウイルスを実験室で培養することは不可能で、生きた人間を使うしか実験方法は存在しなかった。肝炎については、汚染された食物を食べて感染する、潜伏期間が30日程度と短い型(今日でいうA型肝炎)と、血液感染する、潜伏期間が90日程度と長い型(今日でいうB型肝炎)があるということのみが認識されていた。

被験者は知的障害児

ウィローブルックの顧問医であったグルーグマン博士が最初に着手したのは、血清中の蛋白質ガンマ・グロブリンの注射による肝炎予防法の研究だった。彼は新しく入所する知的障害児を二つのグループに分け、一方にのみガンマ・グロブリンを注射し、8〜10か月後に肝炎発症者の数を数えた。注射を施したグループでは1812人中わずか2例しか肝炎を発症しなかった(感染率1.7/1000)のに対し、もう一方では1771人中41例が発症(感染率22.5/1000)。その結果、ガンマ・グロブリン注射が肝炎予防に効果があることが認められた。

肝炎感染者から採取した便を投与

次にクルーグマンは、生きた肝炎ウイルスを投与する実験に着手。
施設内に特別隔離病棟を作り、新たに入所する3歳から11歳の知的障害児を迎え入れた。
そのうちの一部にガンマ・グロブリンが注射され、残りの子どもはグロブリン注射を受けないまま、次いで全員に肝炎発症者の便から取ったウイルスが投与された。

研究の成功

その後、6ヶ月後、9ヶ月後、1年後にもウイルスが追加され、ガンマ・グロブリンの発症予防効果が調べられた。
また同じように被験児を肝炎に感染させる別の実験を行い、肝炎ウイルスに、潜伏期の短いタイプ(現在のA型肝炎)と潜伏期が約90日と長いタイプ(現在のB型肝炎)があることを確認し、それぞれのウイルスを分離することに成功した。

800人が肺炎に感染

最終的には800人の知的障害児が人為的に肝炎を感染し、その多くが死亡。
これらの実験は秘密裡に行われたわけではなく、著名な医学雑誌に発表されており、実験を始める前にクルーグマンは多くの同僚たちに相談し、米軍疫学委員会の審査も通って資金援助を受けていた。
ニューヨーク大学医学部教授会 executive faculty は彼の研究を承認し、後に設置された大学の人体実験審査委員会も許可を与えていた。

施設の閉鎖までとその後

賞賛と批判

クルーグマン博士のこれらの研究成果は世界から賞賛を受けることになる。
現在では考えられないような人体実験も、驚いたことに当時の倫理的審査では問題なしとして承認されていたのである。
その後、告発者の登場やマスメディアによってこの研究は世論の批判を浴びることになる。

批判に対する反論

これに対してクルーグマンは、「もともとウィローブルックの衛生状態はきわめて悪く入所者は放っておいてもいずれ肝炎に感染する」、「被験者になれば衛生状態のよい特別病棟に入り他の感染症に罹る危険は低くなる」、「被験者は肝炎ウイルスに対する免疫が獲得できる」、「親に十分説明し同意を得ている」などと反論した。

保護者への説明

入所する知的障害児の親に対しては、実験の詳細については告知せず『発症する率は低く、発症しても穏やかなものに過ぎない』、『一生続く免疫が獲得できるかもしれない』、『予防できる可能性のある新しい方法を実施する』などと説明していた。
さらに収容人員が過剰となり、1964年からは一般の入所者募集が中止されるが、被験者になることに同意すれば入所できると通告されるようになる。

1975年に閉鎖

5400人の入所者を抱えていたウィローブルック州立学校は、劣悪な環境も問題視され、3年間の裁判の末、1975年に閉鎖。
しかし同施設に入っていた障害者たちは、他の施設に移ってからもB型肝炎の感染者として登校禁止措置をとられるなど偏見や差別にさらされた。

グルーグマンはラスカー賞を受賞

しかし、クルーグマン博士は、1972年にはアメリカ小児科学会会長に就任、全米肝炎研究委員会委員長や、『米医学雑誌』の編集委員などを歴任し、1983年にはアメリカ医学会最高の賞とされる「ラスカー賞」を受賞。
医学界での名声に傷がつくことはなかった。

アメリカ医学界最高の賞とされており、ラスカー賞とも呼ばれる。 ラスカー賞は、ラスカー財団によって運営されている。 アルバート・ラスカーと、彼の妻メアリー・ウッダード・ラスカーによって1946年に始まった。 ラスカー賞はしばしば「アメリカのノーベル生理学・医学賞」とも呼ばれる。

怠慢と虐待

入所者は汚物にまみれていた

ロバート・ケネディ上院議員は1965年に施設を視察し、過密施設の個人は「汚物と汚れに身を包み、衣服はぼろきれで、動物を動物園に入れるケージよりも快適でない部屋にいる」と宣言し、環境の改善を求めた。
また、「人類に対する基本的な権利を否定した」とも述べた。

性的虐待も蔓延

WABC-TVニューヨークでは、ウィローブルックで一連の調査を実施し、過密状態、不適切な衛生施設、学校職員による住民の身体的および性的虐待など、多くの嘆かわしい状況を明らかにしました

著名人たちの声

科学者 モーリス・ヒルマン

彼ら(ウィロウブルックの研究)は、米国の子供たちに対してこれまでに行われた最も非倫理的な医学実験でした。

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