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2019 阪神ジュベナイルフィリーズ 優勝馬レシステンシアの父系を最後までさかのぼる

2019年の阪神ジュベナイルフィリーズを制したレシステンシアが、どのような父系によって誕生したのか遡り抜いて、血統という概念が凝縮されたサラブレッドという存在を考える材料になればと思います。

更新日: 2019年12月28日

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この記事は私がまとめました

サラブレッドは血統という概念が凝縮された存在です。G1を勝利した馬がどのような父系によって誕生したのかまとめました。

来栖崇良さん

レシステンシア(Resistencia)

タイム 1.32.7
騎手  北村友一

2着馬 マルターズディオサ
3着馬 クラヴァシュドール
 

生誕2017年3月15日
父   ダイワメジャー
母   マラコスタムブラダ
母父  リザードアイランド

生誕    2001年

生涯成績  28戦9勝
主な勝ち鞍
2004年 皐月賞
2006年 天皇賞・秋
2006・2007年 マイルCS
2007年 安田記念

2004年に皐月賞を制するも、その後、呼吸疾患の喘鳴症が重症化したことで一時不振に陥るが、手術を経てこれを克服。2006年・2007年と連続して最優秀短距離馬に選出された。

生誕    1986年

生涯成績  14戦9勝

主な勝ち鞍
1989年 ケンタッキーダービー
1989年 プリークネスステークス
1989年 ブリーダーズカップ・クラシック

ケンタッキーダービー、プリークネスステークスとアメリカ三冠のうち二冠を制し、さらにブリーダーズカップ・クラシックなどG1を5勝する活躍を見せた。引退後は日本で種牡馬となり、初年度産駒がデビューした翌年の1995年から13年連続で日本のリーディングサイアーを獲得し、サンデーサイレンスを起点とするサイアーラインは日本競馬界における一大勢力となり、サンデーサイレンス系とも呼ばれる。

生誕  1969年

生涯成績  31戦9勝
主な勝ち鞍
1974年 ユナイテッドネイションズハンデキャップ

競走馬として3~6歳時に31戦9勝2着8回の戦績を残し、種牡馬としてはサンデーサイレンス、グッバイヘイローなどの産駒を残している。気性が荒くいつでも口籠を装着されており、これは、父のヘイルトゥリーズンから受け継がれたものだった。

ヘイルトゥリーズン(Hail to Reason)

生誕  1958年

生涯成績  18戦9勝
主な勝ち鞍
1960年 サプリングステークス
1960年 ホープフルステークス

デビュー後しばらくは勝てなかったが、アケダクト競馬場で9馬身差をつけて初勝利を挙げると、勝ちを重ねてホープフルステークスでは10馬身差のレコード更新で圧勝。同世代のライバルで、後にアメリカ二冠馬となるキャリーバックとも何度となく対決したが、そのほとんどに勝利した。種牡馬としても成功し、ヘイルトゥリーズン系は日本・アメリカ大陸などで大いに繁栄する。

生誕  1951年

生涯成績  8戦6勝

アイルランドで生産され、1歳の時にアメリカに輸出された。1953年の2歳時には5戦して3勝をあげ、年が明けた3歳時も3連勝をマークしてクラシック戦線の有力馬と目されたが、骨折により引退。種牡馬としては現代競馬に多大な影響を及ぼし、その子孫がターントゥ系と呼称されることもある。

生誕  1942年

生涯成績  20戦6勝
主な勝ち鞍
1946年 クイーンアンステークス

現役時代は3歳時の1945年に2000ギニーで3着、4歳時の1946年にクイーンアンステークスを勝ったあと、同年末に競走馬を引退。種牡馬としてはイギリス、アメリカで活躍し、ターントゥを輩出するなど後継種牡馬にも恵まれている。

生誕  1935年

生涯成績  14戦14勝
主な勝ち鞍
1938年 パリ大賞典
1938年 ミラノ大賞典
1938年 デルビーイタリアーノ(イタリアダービー)

1938年にイタリアクラシック2冠を達成すると、イタリア最大のレースといわれるミラノ大賞典も優勝した。さらに当時世界有数の国際レースであったフランスのパリ大賞典で、イギリスのダービーステークス優勝馬ボワルセル、フランスのジョッケクルブ賞優勝馬シラ、フランスのディアヌ賞優勝馬フェリーなどを相手に優勝した。

生誕  1920年

生涯成績  30戦14勝
主な勝ち鞍
1924年 チャンピオンステークス

4歳時にチャンピオンステークスに優勝してイギリスで種牡馬になるものの、より期待されていた全弟フェアウェイが種牡馬入りするとフランスに輸出された。しかし、競走成績、種牡馬成績ともにフェアウェイに劣りながらもネアルコ、ファリスを通じての血統的影響力はフェアウェイとは比べ物にならないほど大きくなる。

生誕  1913年

生涯成績  24戦16勝

競走成績は主に短距離を走っていたためクラシックなど大レースには縁がなかったが、子孫にネアルコやネイティヴダンサーが出ており、現代サラブレッドの約8割がこの馬に辿り着くといわれている。

生誕  1902年

生涯成績  31戦11勝

3歳時にダービーを回避し、アスコット競馬場のセントジェームズパレスステークスに出走して二冠牝馬チェリーラスの2着と善戦した。クラシック三冠の最終戦セントレジャーステークスではシャラクームに敗れて2着となった。種牡馬としては産駒ファラリスの影響もあって現在のサラブレッドの8割以上を超える馬の父系の祖先となっている。

生誕  1895年

生涯成績  11戦9勝
主な勝ち鞍
1899年 アスコットゴールドカップ

遅生まれのうえ成長が遅れたため、オーナーブリーダーはこの馬をクラシック登録せず、成長したシリーンを見て後悔したと言われている。のちのダービーステークス優勝馬ジェダーをニューマーケットステークスで破った翌年、アスコットゴールドカップを8馬身差で圧勝して、種牡馬入り後は種付けの申し込みが殺到した。

生誕1889年

主な勝ち鞍
1892年 2000ギニーステークス

イギリスクラシック三冠競走のひとつ2000ギニーステークスで優勝し、種牡馬としてはシリーンの父として知られるほか、ハンガリーでリーディングサイアーとなって成功した。

生誕  1877年

生涯成績  14戦10勝
主な勝ち鞍
1880年 エプソムダービー

3歳になると脚部不安で満足にレースを使えずにエプソムダービーを迎えるも、ロバートザデヴィルにアタマ差を付け優勝。その翌年、シティ&サバーバンハンデキャップというレースでアメリカ産のエプソムダービー優勝馬フォックスホールとのダービー馬対決を制した。

生誕  1870年

生涯成績  10戦4勝
主な勝ち鞍
1873年 エプソムダービー

デビュー戦がいきなり2000ギニーで、この競走を惨敗すると次はエプソムダービーに向かい一変して楽勝した。当時は良血馬であればデビュー戦がいきなりクラシックということも珍しくはなかったが、初勝利がエプソムダービーというのは稀である。

生誕  1849年

生涯成績  20戦12勝
主な勝ち鞍
1852年 2000ギニー
1852年 セントレジャーステークス

2000ギニーとセントレジャーステークスに勝ち二冠を達成すると、種牡馬としても計7回のイギリスリーディングサイアーを獲得するなど活躍し、「種牡馬の皇帝」と呼ばれた。

生誕  1842年

生涯成績  9戦5勝
主な勝ち鞍
1845年 セントレジャーステークス
1845年 シザレウィッチステークス

父、祖父と同じくアイルランドの出身で、イギリスに渡りセントレジャーステークスを制すことでアイルランド競馬のレベルを知らしめた。種牡馬としてもストックウェルの父として知られる。

生誕  1833年

生涯成績  15戦7勝

1歳時にウイルス性の肺炎にかかり安楽死も検討されたが、そこから奇跡的な回復を見せ、全15戦全てアイルランドのカラ競馬場で走った。種牡馬としてはイギリス、アイルランド各地を転々とし7頭のクラシックホースを出し、アイルランド初の歴史的名馬といわれている。

生誕  1826年

生涯成績  8戦7勝

アイルランド競馬初期の名馬で、2歳時にアイルランドで4戦全勝、3歳時イギリスに渡るとセントレジャーステークスで3着に入った。青毛に白い斑点を持っており、これを産駒のバードキャッチャーを通じてベンドア斑点として後世に伝えた。

生誕  1807年

生涯成績  20勝(単走・マッチレース含む)
主な勝ち鞍
1810年 エプソムダービー

その名前とは裏腹に体高(肩までの高さ)は154センチメートルしかない小さな馬だったと伝えられているが、1810年エプソムダービーの勝ち馬。母ペネロピは18勝もした名牝・名繁殖牝馬であり、ホエールボーンの全弟ウイスカーと2頭のダービー馬、1000ギニー馬ウィズギグと3頭のクラシック馬を輩出している。

生誕  1790年

生涯成績  12戦11勝
主な勝ち鞍
1793年 エプソムダービー

1793~1796年まで競走生活を送り、1793年にエプソムダービーを優勝している。エプソムダービーで2着に負かしたゴハンナとはライバル関係で何度か戦い、4歳時に一度だけ敗れている。

生誕  1773年

生涯成績  34勝(諸説あり)
主な勝ち鞍
1778年 スウィープステークス

馬名は由来はpotato(ポテト)の正しい綴りを知らなかったため、Potの先の綴りは o を 8 個並べて「エイト(8)オー(o)」と読ませるようにしたため。競走馬としては、4~10歳までの間に34勝を重ね、これは当時の競走馬としては最強と呼ぶにふさわしいものだった。

生誕  1764年

生涯成績  18戦18勝(諸説あり)

エクリプスが生まれた18世紀中頃は、ジョッキークラブも結成されておらず、エプソムダービー等今日知られている競走も行われておらず、貴族や富豪が相互に賭け合い勝負をするという形で競馬が行われていた時代で、競走形態も後世のものとは異なる。そんな時代にエクリプスは18戦18勝という成績を残し、かつ全ての競走が楽勝だったため、18世紀最強馬とされることが多い。

生誕  1750年

生涯成績  6戦3勝
主な勝ち鞍
対ブリリアント

体高(肩までの高さ)は152.4センチメートルの小さな馬で、競走成績は1754~1756年の3年間に6戦して3勝。馬主のカンバーランド公は種牡馬としてマースクを重用せず、カンバーランド公の死に際しては近くの農夫に端金で売られているが、エクリプスの活躍により100ギニーという極めて高い種付け料が設定されるようになる。

生誕1732年

主な勝ち鞍
対サルタン
対ポーカー

三大始祖の一頭ダーレーアラビアンの孫であり、18世紀最強馬エクリプスの祖父に当たる。
競走馬としてはローンズデール卿所有のサルタンを相手に200ギニーを賭けた競走、ブリッジウォーター卿所有のポーカーを相手に200ギニーを賭けた競走などに勝利している。

生誕1716年


1721~1723年の3年間での8競走すべてを圧勝し、飛ぶように速いと評判になり、賭け勝負を挑むものがいなくなった大競走馬フライングチルダーズの1歳下の全弟。そのためバートレットチルダーズ自身は競走馬として不出走であったが、種牡馬となって成功を収めた。

生誕1700年頃

シリアの遊牧民アラゼー族によって1700年頃に生産された純血アラブ種で、サラブレッド三大始祖の一頭。当初の名前はマンニカであったという。直系子孫は19世紀に入ってから他系統を凌駕し、結果的に全サラブレッドの90パーセント以上を占めるまでに拡大した。

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