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なぜアメリカとイランは対立するの?昔のイランは親米派だった!?

2020年の新年早々、アメリカとイランが激しく対立する場面がありましたが、なぜアメリカとイランは対立しているのでしょうか?実は昔のイランは親米派だったという情報もありますが、アメリカとイランがなぜ対立するのか、その原因について調べてみました。

更新日: 2020年01月13日

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ぎゃBEさん

現在は仲が悪いアメリカとイラン、しかし昔は仲が良かった

イランは、今はアメリカと対立しているけど、実は、その昔は、親米の王朝だった

政治的には19世紀後半の半ばにナーセロッディーン・シャーが初めての公式大使としてミールザー・アボルハサン・シーラーズィー(ميرزا ابولحسن شيرازی)をワシントンD.C.に派遣したことに始まる。一方、合衆国も1883年、サミュエル・ベンジャミン(英語版)をイランへの初めての公式外交使節に任じている。

イランとアメリカ合衆国は第二次世界大戦後の時代まで政治的・文化的な同盟国であり、この政治的同盟関係は1979年まで維持された。

中東では最もアメリカ寄りだったイランが突如反米国家に

中東の中で最もアメリカに近いとも言われていた国が、この革命(イラン・イスラム革命)によって全部ひっくり返ってしまった。ものすごく極端に例えると、日本が反米国家になるみたいな。
これがきっかけで、アメリカとイランは仲が悪くなった

反米国家となったきっかけ・「イラン・イスラム革命」

アメリカはイランの親米政権を利用して原油の利権を確保しようとしていたんだけど、イランの国民の間で不満が高まり、親米政権が倒された。これが、1979年の「イラン・イスラム革命」。

国民の間に貧富の差が拡大したことや、旧来の伝統やイスラム教を否定するような世俗化政策など、強引な国王の独裁に対して国民の間に不満が高まっていきます。

国王は、改革に反対する人々を秘密警察を用いて弾圧しました。その強権的な姿勢に反発する宗教勢力や保守勢力は、国王を「アメリカの傀儡」とみなし、打倒することを決断。こうして「イラン革命」が勃発することとなったのです。

同時期に「アメリカ大使館占拠事件」も勃発

イスラム革命が起きて反米国家になったイランで、新しい体制のトップになった最高指導者を熱狂的に慕う若者たちが、「我々の敵アメリカを倒せ」とアメリカ大使館に突入した

大使館の敷地には次々に学生と暴徒たちが侵入してきたが、大使館の警備にあたっていたアメリカ海兵隊員も、事態の悪化を恐れてこれに対して制止、発砲することはできなかったため、学生と暴徒たちは間もなく大使館の建物内に侵入しこれを占拠し、アメリカ人外交官や海兵隊員とその家族の計52人を人質に

この二つの事件によりイランとアメリカの関係は最悪に

これまで親米政権ではあったけれど、国民の間には、アメリカは自分たちのことばかり考えているというような不満があってね
政権は親米だったけど、国民は違っていたと。

イランはその後、「アメリカというのは大悪魔だ」と言うようになるし、アメリカは「イランは世界のテロリストの親玉みたいな存在だ」というふうに呼ぶんです。

大使館の事件のあと約40年間、イランとアメリカは国交を断絶している。基本的にずっと対立

さらにアメリカの経済制裁が始まり両国の中は険悪に

さらに2002年には、イランが核兵器を開発しているんじゃないかという疑惑が浮上
欧米などがイランに制裁。
アメリカは自国の金融機関に対し、イランの銀行との取引を制限
イラン中央銀行と取引した外国の金融機関は、アメリカの銀行との取引を禁止できる法律制定など。  アメリカを取るか、イランをとるか。

アメリカの経済制裁でイランの経済は大打撃を受ける

1年間で通貨価値が3分の1になりました。すごく単純に言うと、今まで100円だったものが300円になった。

アメリカが強力な制裁をしたから、イランの経済は、ものすごく落ち込んだ。
さらにそれだけじゃなく、いろいろな物資が入ってこなくなって、モノ不足に陥った。

オバマ政権の誕生で一時は関係も改善されると思われたが…

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