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皇室用もあった157系電車

時代は移り令和の世になりましたが、今回は特別車も存在する157系電車を採り上げます。

更新日: 2020年01月24日

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mtmまとめさん

●157系電車は準急用として登場した

国鉄157系電車(こくてつ157けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1959年(昭和34年)に設計・製造した長距離用直流特別準急電車。後に運用の実績から特殊特急形車両に分類された。最初に投入された列車名から「日光形電車」とも呼ばれる。

●準急用であるが、特急並みの車両であった

キハ55系気動車などの準急形車両はおろか急行形車両よりも設備水準ははるかに上のものとして151系電車に準じたデラックスな特急形車両並みの車内設備を有して設計・製造され、1959年6月の車両称号規程改正後に落成したため157系と称されるのが本系列である。後に特急列車にも投入され、一般旅客用車両31両と皇室用貴賓車クロ157形の1両をあわせた合計32両が1963年までに日本車輌製造・川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)・汽車製造で製造された。

●勾配線区であることを加味した編成となった

編成内の電動車比率(MT比)を高めるため編成両端のクモハ157形 (Mc) +モハ156形 (M') でユニットを組み、その間に付随車のサロ157形 (Ts) ・サハ157形 (T) を2両ないし3両組み込むことを基本とした。食堂車(ビュフェ車を含む)は製造されていない。
クモハ157形に搭載される主制御器は、既存のCS12A形電動カム軸多段抵抗制御器に抑速ブレーキを追加装備したCS12C形を搭載する。ただし、後にCS15形で一般的となるノッチ戻し機構は未装備である。

●当初は冷房なし

客用出入口は151系と同様の幅700mmの片引戸が2か所に設けられたほか、横揺れ防止の車端ダンパが搭載された。

当初は準急用であることから冷房装置の搭載は見送られたものの、将来の冷房化を考慮し、屋根上の冷房装置設置予定部分を鉄板で塞ぐなどの冷房準備工事が施工されており、客室には扇風機が設置された。このため側窓は開閉可能なバランサー付き1段下降窓を採用した。

新製時の外板塗色はキハ55系と同様のクリーム4号と赤11号の組み合わせとし、車両番号表示は落成当時より切り抜き文字であったクロ157形を除き赤11号とした。

●151系特急「こだま」と遜色ない車内であった

特急形車両と同等の車内設備を持たせるということで、座席は2等車がリクライニングシート、3等車が回転クロスシートを採用した。

2等車のリクライニングシートは151系のものと基本構造は同一だが、準急形ということで表地は赤7号の合成繊維となり、シートラジオは省略された。テーブルは151系と同様に通常は座席背面の袋に収納し、使用時に袋から出して肘掛け横の穴に差し込む構造である。

3等車の回転クロスシートは151系のものを改良し、座席背面の折畳みテーブルを外付け式とした。また座席背面のほか、側面窓下の壁面にも灰皿を設けている。

●貴賓車も製造された

クロ157形は、従来の貴賓車クロ49形[注 29]に代わる御用邸に移動する際など皇室の小旅行用ならびに外国賓客用貴賓車で、お召し列車の簡素化を目的として1960年(昭和35年)7月に川崎車輛で1両のみが製造され、2019年(平成31年/令和元年)現在もJR東日本に車籍を有する。

●183系電車や185系電車も牽引車となった

その後の牽引車は183系1000番台が充当されたが、1985年(昭和60年)3月に183系が長野運転所(現・長野総合車両センター)へと転出したため同時期に新前橋電車区(現・高崎車両センター)から転入した185系200番台が充当された。このため外板塗色も当時の185系に準じたアイボリー地に緑帯に変更された。

●貴賓車以外は短命であった

冷房取付時に側窓固定化等の改造が行われなかったことから下降窓より車体内部へ雨水が浸入しやすい構造に対策の無いまま使用され、またこの部分には冷房使用に伴う結露も発生し、車体腐食が進行した。このため外板更新や窓固定化等が一部車両に施工されたものの対症療法的な処置であり、労使関係が悪化していた当時の国鉄では根本的な対策も見つからず実働わずか17年で183系1000番台への置換えが決定。この結果クロ157-1と牽引用のクモハ157+モハ156-1・2の4両を除く車両は同年中にすべて廃車となった。

本形式は事故廃車は1両も発生していません。輝かしいものがあります。

●現在も貴賓車クロ157は残る

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道(JR東日本)へ承継。民営化後も何度か運転されたが、平成時代に入ってからは、特別扱いを嫌っていた天皇の御意向やその他の諸事情などにより列車による行幸は一般向けの車両を使用した「団体列車」形式で行われるケースがほとんどとなり、専用列車を仕立てたお召し列車そのものの運転回数が減少したことや補修部品の確保も難しくなったことから、1993年(平成5年)9月8日の運用を最後に全く運転実績のない状態が続いた。

●最後に車内を振り返ってみましょう

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