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槇原敬之容疑者...覚醒剤と危険ドラッグで逮捕!過去にも覚醒剤で逮捕されていた

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更新日: 2020年02月14日

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この記事は私がまとめました

見ると脳汁とか脳からヨダレが出るって言うよね・・・。

かなえchさん

2020年2月13日
警視庁によりますとおととしの平成30年4月、当時住んでいた港区のマンションで覚醒剤を含む粉末0.083グラムを所持していたとして覚醒剤取締法違反の疑いが持たれています。危険ドラッグも同時に(ラッシュ)所持していた。

警視庁は当時、マンションの捜索で覚醒剤などを発見していましたがその後の捜査でいずれも槇原容疑者のものだった疑いが強まったとして、13日夕方、現在の渋谷区の自宅にいるところを逮捕しました。

槇原敬之容疑者の東京・渋谷区の自宅近くに住む50代の女性は「警察が車をとめさせてほしいと言ってきて、けさから6、7人の警察官が待機していたので何があるのかと思っていました。槇原さんは3年前に引っ越してきました。以前も逮捕されたことがありましたが、トラブルもなく過ごしていたのでいい人なんだなと思っていました。それだけに今回の逮捕はすごく残念で、やっぱり薬物はやめることができないのかと思いました」と話していました。

平成11年

槇原容疑者は、1999年8月にも覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、同年12月の東京地裁から懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の有罪判決を受けている。

判決公判では、裁判官が「覚せい剤への親和性が認められ社会的反響も大きい。ただ取り調べにも素直に応じ、裁判を通して反省している」と判決理由を読み上げ「更生を願っているファンのためにも、必ず立ち直ってもらいたい」の激励すると、小声で「はい」と答えた。

 判決後には、自筆ファクスをマスコミ各社に送付。「寛大な判決が下りました今も、法を犯す事の重大さを痛感しております。今後は、絶対にこの様な事を起こさないことを、堅くお約束いたします。皆様にお会いできる日を信じ、良い曲を作り歌うことで、恩返しをしていきたい」などと復帰への意欲を示し、翌00年に復帰アルバムを発表した。

止められず・・・2020年また逮捕へ

警視庁によりますとおととしの平成30年4月、当時住んでいた港区のマンションで覚醒剤を含む粉末0.083グラムを所持していたとして覚醒剤取締法違反の疑いが持たれています。

また、この前の月に同じマンションでいわゆる危険ドラッグを所持していた疑いも持たれています。

警視庁は当時、マンションの捜索で覚醒剤などを発見していましたが、その後の捜査でいずれも槇原容疑者のものだった疑いが強まったとして13日逮捕したということです。

経歴

シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家。 現在の所属レコード会社はBuppuレーベル。公式ファンクラブは「Smile Dog」。身長176cm。独身。血液型はO型。

生年月日: 1969年5月18日 (年齢 50歳)
生まれ: 大阪府 高槻市
身長: 176 cm
学歴: 青山学院大学青山キャンパス

大阪府立春日丘高等学校卒業。3浪後、青山学院大学第二部文学部英米文学科入学。プロとしての音楽活動が忙しくなり、入学後すぐに退学している。

高校在学中の16歳時(1985年)、坂本龍一が当時担当していたNHK-FM放送の番組『サウンドストリート』のデモテープコーナーに、アーティスト名「C・M・C」(コンプレッサーズ・ミュージック・クラブ)として「HALF」という楽曲を応募する。楽曲を聴いた坂本から「良いバランスで仕上がっている。言う事なし」と絶賛を得て、番組では異例のフルコーラスが放送された。

1990年 - 1999年

1990年10月25日にシングル「NG」とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でWEAミュージック(後にワーナーミュージック・ジャパンに併合)よりデビュー。

1991年6月10日、3thシングル「どんなときも。」をリリース。同曲は、映画『就職戦線異状なし』主題歌、ケンタッキーフライドチキンのCMソングに選ばれるなど話題となり、シングル、アルバム通じて自身初のミリオンセラーとなった。

1992年6月25日、3rdアルバム『君は僕の宝物』をリリース。槇原の代表曲となる「遠く遠く」等を収録しており、アルバムで初のミリオンを達成。

1996年、所属レコードレーベルのワーナー内にプライベートレーベル「River Way」を立ち上げ、7月25日に同プライベートレーベルより全曲ネイティブ・スピーカーによる英語詞のアルバム『ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY』発売。同アルバム発売直前に発売されたシングル「COWBOY」のPVはイギリスのデザイン集団Me Companyが制作、CGを駆使したアニメーション作品が話題を呼ぶ。

1997年にソニー・ミュージックエンタテインメントに移籍。5月10日に初のベストアルバム『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』発売。オリコン1位を記録し、190万枚のセールスを記録。12月、『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』が、日本ゴールドディスク大賞の“ポップス部門”を受賞。

1998年3月、『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』が、第12回ゴールドディスク大賞 ベスト・ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。4月15日に初のアリーナツアー「GEORGIA PRESENTS 槇原敬之 CONCERT TOUR '98“It's a LOVELY PLACE !”~春だ!桜だ!マキハラ君祭り!!~」がスタート。4月30日まで全国5カ所、7公演を行った。

覚醒剤所持による逮捕

1999年8月26日、覚醒剤所持が発覚。情報を得て内偵中だった警視庁本富士警察署の捜索を受けた際、自宅から発見され、覚せい剤取締法違反(所持)現行犯で10年来の友人の奥村秀一と共に逮捕された。本人がファンや関係者に向けて「多くの方達に取り返しのつかないご迷惑をかけてしまい、お詫びする気持ちをどう表現して良いかわかりません。潔く罪を認め、いかなる処分も受けなければならないと思っております」とコメントし、謝罪した。

同年、9月3日にはMDMA所持が発覚した。これらの薬物は槇原・奥村の共通の知人から入手したものだった。槇原の逮捕により、9月から予定されていたコンサートツアーの中止やレギュラーラジオ番組の打ち切り、CDが発売元のレコード会社によって店頭から回収される動きがあり、このときファンが買いに走ったために、過去の作品の売上が伸びるという現象が起こった。また、この逮捕により一時期は7億円もの借金を抱えた。9月9日に300万円の保釈金によって保釈され、12月8日に 懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。同日に本人は「寛大な判決が下りました今も、法を犯すことの重大さを痛感いたしております。今後は、絶対にこの様な事を起こさないことを、堅くお約束いたします」とコメント

2000年 - 2010年

2000年に以前所属していたワーナーミュージック・ジャパンに復帰移籍し、11月にリリースした10thアルバム『太陽』で活動再開。

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