1. まとめトップ
  2. 雑学

日本の政治はどのような動いたのか?戦後から令和までの政局について

戦後日本の政治について、戦後から令和までの政治の様々な事情について政権に焦点を当てたまとめ。

更新日: 2020年02月26日

3 お気に入り 1523 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

戦後から令和までの日本の政治について、主に政権に注目しながらまとめました。

戦後すぐの政治は吉田茂が主役

吉田茂(1878年9月22日-1967年10月20日)、よしだ しげる。日本の内閣総理大臣(第45代・第48-51代)、外交官。

1946年から1950年代前半までは、吉田茂氏が日本の政治を動かしました。

孫は第92代内閣総理大臣の麻生太郎

非常に著名な政治家である麻生太郎の祖父という事になりますね。

サンフランシスコ講和条約、安全保障条約を結び、戦後日本の外交路線を決定付けた人として、教科書で紹介される(吉田路線)

日本は敗戦後、長らくアメリカとの関係を重要視してきました。当時吉田茂の戦略としては、防衛についてはアメリカに任せて、経済復興に集中しようというものがあったようです。

吉田茂はアメリカの再軍備を要望を断り、経済に力を入れる。

朝鮮戦争が勃発した際も、経済に集中する事を優先しました。

鳩山一郎と自民党の誕生

このような国民世論の強い要望と、自由民主主義政党内部での反省も加わって、「保守合同」への動きは、二十八年ごろから活発化したのですが、二十九年十一月の改進党と日本自由党の合同による「日本民主党」の結成を経て、三十年五月の民主・自由両党幹部会談、同年六月の鳩山民主・緒方自由両党総裁の党首会談から、本格的な自由民主勢力の合同への動きが始まったのです。

保守をまとめようと言う動きから、後に日本の政治史には欠かせない存在になる自民党が誕生します。

全国民待望のうちに昭和三十年十一月十五日、東京・神田の中央大学講堂において、華々しく結成大会を開き、ここに戦後最大の単一自由民主主義政党として歴史的な発足をみました。ちなみに、当時の自由民主党所属国会議員は、衆議院二百九十九名、参議院百十八名

自民党は昭和30年、西暦にすると1955年に誕生します。

また「党の性格」については、(1)わが党は国民政党である、(2)わが党は平和主義政党である、(3)わが党は真の民主主義政党である、(4)わが党は議会主義政党である、(5)わが党は進歩的政党である、(6)わが党は福祉国家の実現をはかる政党である、と規定し

日本最大級の保守政党が出来る事になり、後に鳩山一郎内閣総理大臣を生むことにも繋がります。

【鳩山一郎】
(1883~1959) 政治家。東京生まれ。東大卒。和夫の長男。犬養内閣・斎藤内閣の文相。第二次大戦後日本自由党総裁となったが公職追放され、解除後日本民主党総裁として1954年(昭和29)首相となった。

日ソ国交回復を実現した総理です。

安倍首相の祖父・岸信介

自立をめざし、対米従属を嫌う岸信介は、日米安全保障条約に事前協議制がなかったり、アメリカに日本防衛義務がないのは不平等条約だと考え、安保改定を最優先に考えた。

岸信介氏は、保守的な思想の持ち主として知られており、改憲や日米安保の改定を主張しました。

1958年、岸信介首相は警察官職務執行法を改正しようとした。 予防拘束を可能にし警察官の権利を強化しようという法案は治安維持法の復活か?と左派から批判を受け撤回した

新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。5月19日には日本社会党議員を国会会議場に入れないようにして新条約案を強行採決したが、国会外での安保闘争も次第に激化した。

かなりイザコザあったようです。

辞意表明後の7月14日、後継首班に池田勇人が指名された直後、岸は暴漢に刺されて重傷を負った

今では考えられませんね。

佐藤栄作と沖縄返還

政治家。山口県生。岸信介は兄。東大卒業後鉄道省に入り、運輸次官をつとめたが退官。民主自由党に入党し、第二次吉田茂内閣の官房長官をはじめとして大臣を歴任した

安倍首相の祖父の弟に当たりますね。

その間、日韓基本条約の締結・日米安保条約自動延長・沖縄返還を実現、非核三原則などの政策によってノーベル平和賞も受賞した

日本の総理大臣としてはじめてノーベル平和賞を受賞します。

1895(明治28)年、日清戦争での勝利により、両国間で懸案となっていた先島分島問題が解決すると、明治政府は沖縄の同化政策に力を入れるようになります。その後沖縄は、急速に日本の国家体制に組み込まれていきました。

沖縄県はもともと難しい立ち位置であったようです。

戦後すぐの沖縄では〈帰属問題〉、つまり日本へ復帰すべきか、独立すべきか、それとも国連の信託統治下におかれるべきかについてさまざまな議論が交わされました。

様々な側面があり一概には言えませんが、このような流れが今も続く米軍基地に関連する様々な問題に繋がっています。

佐藤栄作氏は、ケネディ大統領が「日本と琉球は同じ国」と言った旨の発言する等、追い風が吹いた事もあり、1967年には沖縄返還に関しての合意を進めました。(実際に返還されたのは、1972年)

中曽根康弘と民営化

1 2 3