1. まとめトップ

祝!湘南電車登場70周年 80系電車の軌跡

緑とオレンジのカラーの湘南電車が登場して70年が経過しようとしています。今回は、初代湘南電車として登場した80系電車について採り上げます。

更新日: 2020年03月03日

1 お気に入り 2116 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

mtmまとめさん

●湘南電車とは?

東京と小田原・熱海・沼津の間に運転されていた電気機関車牽引の客車列車の国鉄部内呼称である「湘南列車」が、1950年3月から電車運転へと切り替えられる際に「湘南電車」と呼び変えられ、一般にも用いられる様になった。

このオレンジと緑の配色の由来は色々な説があり、「沿線(主に静岡)の名物みかんと緑茶にちなんだもの」という説明がJR公式からされていますが、一方で80系の塗装を決める際にアメリカのグレートノーザン鉄道を参考にしたとも言われています。

●80系電車の登場

電車は大都市圏の短距離輸送に重点を置く補助的な存在と捉えていた国鉄が、100kmを超える長距離輸送に本格投入した最初の電車であり、走行性能で電気機関車牽引客車列車を大きく凌駕し、居住性でも初めて肩を並べた。電車が長距離大量輸送に耐えることを国鉄において実証し、その基本構想は後年の東海道新幹線の実現にまで影響を及ぼした。

高速性能を確保しつつ、在来客車に近い水準の接客設備を備え、また当時日本の電車最長の16両編成が可能な仕様であった。 当時の国鉄では、電車は都市近郊での短距離運転向けのものと見なされていただけに、80系を使用し、120km以上の長距離を、在来電車では先例のない客車列車並みの長大編成で運行したことは画期的だった。投入当初は初期故障を連発させ、新聞紙面で「遭難電車」と揶揄されもしたが、ほどなく安定運用が可能となり、国鉄での電車による長距離列車運転は広く定着していった。

長大編成を実現するため、以前は運転台のある車両のみがモーター車であったのが、80系では先頭車にモーターを付けず、代わりにモーター付の中間車両が初めて登場した。乗り心地の改良と共にコスト削減が目的である。基本は10両編成で、それに付属して5両編成、更に郵便荷物車が前後いずれかに付いて、合計16両編成の電車を走らせるのが当初からの構想だったというから驚きである。これだけの長大編成となれば、勿論ブレーキ・システムの改良等も必要であった。

●それでは、どの様な形式が登場したのか?

クハ86形:制御車。3等車。
モハ80形:中間電動車。3等車。主制御装置、集電装置、電動発電機、CP搭載。
サハ87形:中間付随車。3等車。
サロ85形:中間付随車。2等車。
モユニ81形:郵便荷物室付きの制御電動車。単行運転可能。後にクモユニ81に改称

茅ヶ崎での事故の後に改造されて、この様なパノラマミックウィンドウとなり、印象が変化しました。一番上の写真からの変化ですが、比較すると、、、ですね。

1952年度製造のクハ86061- は正面窓がHゴム支持による車体直結の固定窓となったほか、80136 - 80140の偶数車はMGを搭載。また1957年以降の製造車では両渡り構造を採用しました。

モユニ81から改番されました。

●準急列車などにも使用された!

最終グループです。全金属車体で落成。

その後、1957年には東京 - 名古屋・大垣間の「東海」、名古屋 - 大阪・神戸間の「比叡」両準急列車に300番台車が投入され(サロのみ一部0番台を含む)、従来の客車急行列車を凌ぐ俊足と高められた居住性により、電車でも長距離優等列車運用が可能であることを実証した。

●後年、意外な改造車が登場した!

サロ85に運転台取り付け・3ドア化改造を施工されて登場しました。

サロ85・サハ87に運転席を取り付けて登場しました。写真は100番台で、サハ87を改造したものです。

サロ85からサハ85となりました。サロ85はクハ化改造が多く、原形をとどめている車両は多くありませんでした。

●最後は飯田線で終わった

1 2