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この記事は私がまとめました

まだまとめで消耗してるの?

benntouさん

イケダハヤトのプロフィール。

生まれたのは1986年。神奈川県横浜市戸塚区で生まれ育ちました。

今でこそ画一的な郊外エリアですが、当時はけっこう自然が残ってたんですよねぇ。家の前は普通に「山」だったのを覚えています。下町の雰囲気が色濃い、いい街でした。

幼少期の思い出は……3歳の頃にファミコンをやっていたことですね。当時からゲーマーで、マリオに打ち込んでいました。

小学校に入っても、ひたすらゲーム。初代ポケモンは2,000時間やり込みました。無駄にコイキングをレベルMAXまで育ててみたり……。ひとりで全クリタイムアタックとかもやってました。当時YouTubeがあれば人気だっただろうなぁ。

中学時代にPCをゲット。

そんなゲーマーでしたが、中学校入学時に買ってもらったパソコンが、転機になりました。1999年……かな?

当時はコンシューマー・インターネットの黎明期。インターネットに初めて繋いだときの感動は忘れません。チャットにのめり込んで通話料が3万円くらいになったりしたのは……申し訳ない話です。よくぞ没収しないでくれました……。

チャットの次は、ホームページ制作にハマりました。日記サイト、フォント配布サイト、個人ニュースサイト、学校の裏サイト的なもの……なんかいろいろ作った記憶があります。

そのなかでも受けたのが個人ニュースサイトの「nubonba」。名前に深い意味はありません。なんか響きがいいなぁ、とかそういう程度です。

「nubonba」では、当時大流行していた「FLASH動画」をメインで紹介していました。2chに入り浸って、クリエイターの作品を追いかけ、学校のPCルームから更新。とにかく暇だったので、1日4回は更新していた気がします。学生は最強ですね。


月間50万PVほどのサイトまで育ったあたりで、雑誌「ネットランナー」の編集部からお声がかかり、連載を持つことになりました。

1ページの原稿料は、1.5万円だったかな?4ページの特集を書かせてもらったときは、ちょっとしたお小遣いになりましたね〜。

連載は高校受験を機に終了。「がんばってサイト作ってれば、そのうちいいこともあるんだな〜」という体験は、今の仕事につながる原点です。今はなき「ネトラン」のみなさま、ありがとうございました。

高校時代は部活とRMT。

高校時代は心機一転、部活に励みました。

入部したのは吹奏楽部。関東でも屈指の強豪校で、年間の休みは10日以下。お盆も練習でしたね……。

ぼくの担当は打楽器で、主にシンバルをやっていました。

というのも、シンバルはたまたま「空きポジション」だったんですよ。他のメンバーがとにかくうまかったので、凡人であるぼくはブルーオーシャンを探し、シンバルにたどり着いたのです。

ひたすらシンバルのトレーニングを続け、卒業する頃には「指先」だけで、重厚なシンバルを絶妙に操ることができるようになっていました。冗談ではなく「ミリ単位」でコントロールできました。今はもうできないんだろうな……。

その裏では……あんまり大声では言えませんが「RMT」もやっていました。

ネットゲームのお金とかアイテムを、リアルマネーに転売するアレですね。たまたまいい時期に市場参入できて、そこそこお金を稼いでいました。

「ネットでもお金は稼げる」「タイミングが合えば効率よく稼げる」ということがわかったのも、この時期ですね。RMTも、ぼくにとっては大きな原体験です。

8ヶ月で早稲田政経に合格。

高校3年生の夏で部活を引退してからは、受験勉強モードに突入。

それまではほとんど受験勉強に手を付けていませんでした。なんせ部活が忙しかったので……。

普通に考えると今でいう「Fラン」大学にしか受からないし、実際に部活の同期の学歴は低いのですが、そこはイケハヤですよ……。

当時のぼくは、まず「ひたすら学校を休む」ことを考えました。

学校に行っても受験勉強はできませんからね。移動する時間とかもったいないし、ひたすら家で勉強するのがもっとも効率がいいはず。そんなわけで、最大限学校に行かず、家にひきこもっていました。

つづいてぼくは「どうせやるならトップを取りたい」と考えました。

した。

世界史は特に力を入れて学習し、「早慶模試」では全国1位を獲得しました。他教科も合わせた合格判定は9割以上。もう落ちるわけないですね。

万全の状態で受験に望み、圧倒的な手応えを感じて試験終了。

もちろん、狙っていた早稲田政経、慶應経済は両方合格しました。「慶応は途中でキャンパスが変わる」というところにひっかかり、早稲田に進学しました。

受験勉強で「予定通り成果を出すことができた」のも、大きな成功体験として残っています。自分の適性を考えて、本気でリソース突っ込めば、割りとなんとでもなるんですよね。ブログも同じです。

怠惰な大学生活。

大学生活は……これといって特筆すべきことはしていません。

ひたすらサークルとバイトに明け暮れて、彼女(今の妻)と遊んでいました。当時は景気がよかったんですよ……。

今振り返ると、マジで4年間無駄にした気がします……。もう少し意識が高ければ、もっと遠くに行けていたんだけどなぁ。今の大学生が羨ましいです。

潰れかけの大企業に就職。

途中でリーマンショックをはさみつつも、なんだかんだで内定をもらい、無事に就職。

入社したのは「ルネサステクノロジ」。日立・三菱が合弁で作った、半導体の会社です。2.5万人くらい社員がいました。

……が、ここからですよ……。

ぼくが入社したルネサスは、ぼくが入社した年に、2,000億円の赤字を出しました。に、にせんおく!

そんでもって、入社するや否や「競合のNECと合併して、リストラの嵐が吹き荒れるらしい」という噂が流れてきました。もちろんそれは真実で、そのあと大変なことになりました……。

拾う神あり。

どうしたもんかな……と思っていましたが、ここで救いになったのが「ブログ」なんですよ。

ぼくは半導体メーカーに勤めていた当時、非常に珍しいことに「SNSの公式アカウント運営担当」をしていたんです。

2009年頃は、まだ日本ではツイッターやフェイスブックは普及していませんでした。が、アメリカでは大いに普及しており、米国拠点のスタッフから「フェイスブックやりたいんだけど……」と要望をもらっていたのです。

しかし!そこは日本の大企業。

「フェイスブックって何それ美味しいの?」みたいな状態。「炎上」ということばもまだ普及していませんでしたね。

「よくわからんけど、若いやつに任せよう」という流れになり、ぼくが大抜擢。

そんなわけで、新卒のぼくは米国法人のフェイスブックページなんかを作る仕事をしていました。

当時は文献もすべて英語です。海外のサイトを参考にしながら、SNS戦略を作りました。

その過程で生まれたのが、このブログなのですよ!

ベンチャー企業に転職。

そんなこんなで、企業はサクッと辞めて、ベンチャー企業に転職したわけです。

今でこそ「トライバルメディアハウス」は大御所のマーケティング会社ですが、ぼくが入社した当時は社員15名ほどの小さなベンチャー。マジで増えたな……w

仕事自体は「立ち上げフェーズ」という感じでとても楽しかったのですが……1年でやめちゃいました。

なんでしょうね、やっぱり会社員が向いていなかった感があります。そもそも無理でしょ、「満員電車」とか「稟議」とか……。

夜遅くまで働くスタッフも多かったので、このままここに居続けるのもなぁ……と思っていた記憶があります。今はさすがにマシになっていると思いますが、なかなかブラックだったなぁ。ぼくは定時上がりでしたけどね!

独立。

で、サラリーマンはさっさとやめて、社会人3年目の年にフリーになりました。

独立当初は、主にコンサルティング・講演業で食べていました。当時は「SNSマーケティングのコンサルティング」は儲かる商売で、非常にニーズが強かったのです。毎日のように登壇していたので、人前で話すのはうまくなりましたね〜。

とはいえ、コンサル業がやりたいかというと、そうでもないことに気づきました。儲かるには儲かるんですが、あんまりワクワクしないんですよね……。

独立したはいいけど、仕事には微妙にもやもやが残る……。そんな折に、妻が妊娠しました。2012年2月のこと。

高知市に移住。

東京時代はそんな感じでまったりとブログを書いたり、人前で話したりする仕事をしていました。月商は50〜100万程度。家族を養うなら十分すぎる金額です。

事業は順調でしたが……問題になったのが「保育」。

説明はいらないと思いますが、東京は子育て無理ゲーですよね……。

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