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人とクルマは どこまでひとつになれるか。「ユーノスロードスター(NA系)」

スポーツカー・インターナショナルの選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で第1位を獲得し、20世紀に生産された乗用車の中から、選び出すカー・オブ・ザ・センチュリーではベスト100に入り、2019年の「日本自動車殿堂 歴史遺産車」に選定された「ユーノスロードスター(NA系)」を紹介します!

更新日: 2020年05月03日

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WLM64さん

人とクルマは どこまでひとつになれるか。

1989年5月にアメリカで発売された。日本国内では同年8月に先行予約を開始し、9月1日に発売された。当時のマツダは5チャンネル体制を敷いており、その内のユーノス店の第一弾車種として「ユーノス・ロードスター」の名称で発売された。発売初年には国内で9307台を販売、翌年は世界で9万3626台を販売してスポーツカーとしては大ヒットとなった。

このロードスターの成功を受けトヨタ自動車(MR-S)や本田技研工業(S2000)などの国産メーカーだけでなく、MG(MGF)やフィアット(バルケッタ)、BMW(Z3)、メルセデス・ベンツ(SLK)、ポルシェ(ボクスター)といった海外メーカーまでが影響を受け、中小型オープンカーが開発された。消滅しかけていたと思われていたライトウェイトスポーツカー市場が活性化する起爆剤になった。

開発主査は平井敏彦。後に平井の退職に伴い、サスペンション開発の担当であった貴島孝雄が主査を引き継いだ。プロダクトデザインは田中俊治、俣野努ら数名の手によるものである。

開発の発端はマツダが北米に開設していたMAZDA RESEARCH of AMERICA(以下MRA)のスタッフが空港に向かう車中で「MGのようなライトウェイトカーがあれば」と話したこととされている。それを受けて、当時MRAに在籍していた福田成徳らがデザインコンセプトをまとめた。デザインコンセプトは有志の手によって試作車となり、イギリス、アメリカで実際に走行試験が行われた。試作車の開発コードは”P729”とされた。この走行試験を見かけた一般車が試作車を追いかけてきて「代金はいくらでも払うから譲ってほしい」と言われた逸話がある。この試作車はマツダ社内に保管されており、2009年夏に20周年イベントのプレイベントにて展示公開された。

その後も開発は、日本国内の工場の隅にある、通称「リバーサイドホテル」と称される施設で、有志により継続された。その後、有志によって「ライトウェイトオープン スポーツ」の存在がマツダ社内でプレゼンされ、正式開発の指示の下、正式開発ラインに初めて乗ることになる。開発に当たってのキーワードは「人馬一体」とされた。当時、マツダのデザイン拠点は広島本社とは別に前述のMRAの他、横浜にあるデザイン本部(MRY)、そしてヨーロッパ(MRE)にも展開されており、これら3拠点で練られたデザインが持ち寄られ、最終的なデザインの方向性が決められた。主となるデザインはMRA提案であったが、後の開発過程で贅肉をそぎ落としていくことになる。当時のデザインコンセプトは「ときめき」である(その後デザインコンセプトは「ひびき」、「語らい」と続いていく)

デザインモチーフには「日本の伝統」を記号化したものが多く用いられた。フロントマスクは、能面のひとつである「小面」、フード部分で盛り上がり、サイドウィンドウに沿ってなだらかに下がって再び盛り上がるサイドのラインは、同じく能面のひとつである「若女」を横から見た姿にインスパイアされている。そして車体の曲面は光の映り込みまで計算されている。

シート表面のパターンは畳表の模様、リアコンビランプは江戸時代の両替商が使った分銅の形をデザインしている。独特の形状のアウタードアハンドルは、あえて従来のものとは一線を画すようにデザインされた。これは、日本の茶室の「くぐり戸」から入る際の緊張感と同列の感覚をロードスターの運転を前に感じて欲しいという、開発者からのメッセージでもある。

ヘッドライトにはリトラクタブル・ヘッドライトを採用。リアコンビネーションランプは、デザイン性と機能性の両立を評価され、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) に展示・永久収蔵されている。なお、スペースの都合で車両自体の展示が出来ず、ロードスターのアイコンとして田中俊治が提示したのがこのパーツであった。

量産モデル決定後、他の市販車ではあり得ない約1年半という期間で市場にデビューすることになる。量産開発コードは”J58G”とされた。非常に短期間での市場投入をすべく既存車両の部品流用も多く、2代目AA系キャロルのサイドウインカー、3代目E8/F8系ボンゴの灰皿等がそうである。灰皿のシボ模様はロードスターの室内樹脂部品のシボ模様と異なるが構成部品として採用された。日本仕様車のフロントバンパー中央に取り付けられるエンブレムは田中俊治がデザインを進めていたが、ユーノスチャンネルでの販売を受けてユーノスブランドマークの”Vマーク”に変更された。なお、ユーノスチャンネルはバブル崩壊に伴うマツダの経営戦略の見直しにより1996年3月末で廃止されたため、名称は「ユーノス・ロードスター」のまま販売チャンネルはマツダアンフィニ店に移った。

最初期のモデル以降、2度の大きなマイナーチェンジを受ける。排気量の変更を始め、各部剛性の向上など性能は大きく変化することになるが、エクステリアに関しては大きな変更はなく、どのモデルも大きな違いはない。リアの“Roadster”のロゴプレートに関しては文字色が各モデルで異なり、NA6CEが黒文字、NA8Cシリーズ1が赤文字、NA8Cシリーズ2が緑文字となっている。また、2003年にマツダE&Tにてレストアされたリフレッシュビークル(限定30台)は黄文字である。

2004年、米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルの選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で第1位を獲得した。20世紀に生産された乗用車の中から、世界32か国、約130名の選考委員により選び出すカー・オブ・ザ・センチュリーではベスト100に入った。

なお、2015年には4代目モデルのCMに壮年男性の運転する本モデルのロードスターが登場している。

NA6CE型(末尾のEはEunosのE)は初代の最初のモデルである。1,600ccの直列4気筒DOHC16バルブエンジンを搭載する。このエンジンのベースはマツダ・ファミリアに搭載されていたB6型エンジンで、縦置きへの変更や吸排気系の高効率化、バルブタイミングの高回転化、軽量部品の使用などの改良が施された。これらの改良によりファミリアのB6型と較べてレブリミットが200rpm、最高出力が5ps上昇した。

レイアウトとしてはエンジンの重心を前輪の車軸より後方に配置するフロントミッドシップを採用し、ガソリンタンクやスペアタイヤもホイールベース間に収め、ブレーキキャリパーを前輪は後側、後輪は前側に配置するなど、慣性モーメントを減らすために徹底して重量物を中央に寄せる工夫がなされている。また、バッテリーをトランクに設置するなど前後の重量配分を整え、2名乗車時で50対50の理想的な前後重量配分を実現している。シフトはレバー比4.4、ストローク45mmと当時の日本車では最小のショートストロークで、手首を返すだけでも操作が可能である。トランスミッションは当初は5速MTのみであったが、1990年3月に4速ATが加わった。

サスペンションはマツダでは初となるダブルウィッシュボーン式が前後とも採用された。また、ミッションケースとデフケースを結合するパワープラントフレーム(PPF)の使用により、駆動部の剛性を高めてダイレクト感のあるアクセルレスポンスやシフトフィールを実現している。フロントミッドシップのレイアウトやダブルウィッシュボーン式サスペンション、パワープラントフレームは後の世代のロードスターやFD3S型マツダ・RX-7、マツダ・RX-8にも採用されている。ボンネット、シリンダーヘッドカバー、PPFなどをアルミ製にするなど軽量化も徹底され、車重は940kg - 950kgに収められている(AT車は980kg)。

ソフトトップは手動式である。オープン時には畳んだ幌の見栄えを考慮し、幌収納部を覆うトップブーツが標準装備。オプションでデタッチャブルハードトップが用意された。左右サンバイザーはオープン時に飛び出さないように2分割式のものを採用。オープンで車を離れるときのために、鍵付きのセンターコンソールボックスと助手席前グローブボックスを備える。センターコンソールボックス内部にはフューエルリッドオープナーがあり、1991年8月にはトランクオープナーも併設された。 ラジオアンテナはネジ形状による差込脱着式であったがその後、電動式に変更された。

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