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ひとみ婆さんは実在した…新型コロナで逝去した志村けんの秘密とは?

志村けんが新型コロナウイルス感染で逝去。新宿二丁目の割烹居酒屋「ひとみ」にひとみ婆さんの実在のモデルがいた。

更新日: 2020年03月30日

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wappameshiさん

訃報!志村けんが新型コロナウイルス感染で逝去

3月30日に志村さんの所属事務所が報告した。死因は新型コロナウイルス。

志村さんは3月17日に倦怠感を覚え、19日より発熱・呼吸困難の症状が出たため、20日に病院に搬送され入院。

そこで重度の肺炎との診断を受けて入院。その診察の際、新型コロナウイルスの感染が疑われたため、検査を実施し、23日に感染が判明した。

『ザ・ドリフターズ』の付き人を一度辞めていた

志村けんは高校卒業を前に「ザ・ドリフターズ」に入門する。付き人となった。

志村さんは1950年、東京都東村山市生まれ。高校卒業後、ザ・ドリフターズの付き人となる。

「コント55号」と迷ったが、音楽がやりたくて「ザ・ドリフターズ」を選んだ。

1年半後、お笑い以外にも人生経験を積もうと考え、一旦はドリフを離れてバーテンダーなどをしたが、また1年後に復帰する。

付き人同士で組んだコントユニット「マックボンボン」での活動を経て、1974年にはドリフから荒井注が抜けたのにともない、3ヵ月の「見習い」期間を経てメンバーとなった。

死亡説が流れたことがある

彼の死亡説が流れたのは、一時期に比べテレビで見る機会も減少気味だった1996年ごろのこと。

志村の“死亡例”は「国道で交通事故死」「ゴルフ場で急性心筋梗塞を起こして急死」「煙草の吸い過ぎが原因の肺ガンによって死亡」「観光中に沼へ落ちて溺死」など様々。

同時期に北関東で同姓同名の別人の訃報が新聞に載ったことが、噂の出処と判明している。この騒動は大きな広がりを見せたため、志村本人も報道陣からの自宅を取材され、インターホン越しに「生きています」と釈明するはめとなった。

最初はグーを考えたのは志村けん

この掛け声を発案したのは、バカ殿様としても有名な志村けん。バラエティ番組『8時だヨ!全員集合!』内で披露されたコントの中に存在したらしい。

「飯屋とか飲み屋とかで仲良く飲んでた」とき、誰が支払うか決めようとなったという。そこでジャンケンで決めることを提案したが、酔っぱらってるため、それぞれ手を出すタイミングがバラバラだったとか。

『8時だョ!全員集合』の後、メンバーやスタッフと飲んでいた時のこと。

そこで志村さんが『最初はグー!で合わせましょう』と言ってやってみたところ、タイミングが合ったそうです。

ひとみ婆さんには実在のモデルがいる

新宿二丁目の割烹居酒屋「ひとみ」に実在のモデルがいた。

モデルとなったのは新宿にあったとある居酒屋のママで、すでに故人。

フジテレビが河田町にあった時代によくここに来ていた志村が、手と声の震える女将さんをヒントに作り上げた。

ひとみ婆さんのモデルは、昔新宿二丁目にあった居酒屋ひとみのひとみさん。今、ドミニク・サブロンになったところ。閉店する前に行っておくべきだった。 pic.twitter.com/vSBR3o95Q1

結構知られてないけれどひとみ婆さんのモデルになった居酒屋ってここにあったのよねsearch.yahoo.co.jp/amp/s/misebira… pic.twitter.com/52VPtYtwWQ

志村けんには子供がいた

自著「変なおじさん」の中で、志村さんは付き人時代に同棲していた女性との間に子供がいたことを明かしています。周囲の反対があり、その方と結婚には至らず、現在ではその女性と子供の消息は不明。

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