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ポカホンタスとは?

ポカホンタス(Pocahontas、1595年頃 - 1617年)は、ネイティブアメリカン・ポウハタン族 (Powhatan) の女性。英名「レベッカ・ロルフ」。本名はマトアカ (Matoaka) またはマトワ(Matowa)で、「ポカホンタス」とは、実際は彼女の戯れ好きな性格から来た「お転婆」「甘えん坊」を意味する幼少時のあだ名だった。

ポウハタン族の酋長の娘として生まれ

1595年ごろ、テナコマカ(Tenakomakah)[1]というポウハタン族の集落地で、一帯を領土とするネイティブアメリカン部族「ポウハタン連邦」の高名な調停者ポウハタン酋長(本名はワフンスナコク Wahunsunacock またはワフンセナカウ Wahunsenacawh)の娘として生まれた。

1607年、ポウハタン族の領土であるテナコマカに、イギリス人は「ヴァージニア植民地」を建設した。当地の植民請負人は、ジョン・スミスというイギリス人だった。ジョン・スミスは元兵士で船乗りであり、大英帝国の植民請負会社であるヴァージニア会社に参加してヴァージニア初の入植地ジェームズタウンの建設に関わり、その後植民地指導者になった。

入植者らの思惑に巻き込まれ

1612年、イギリス人たちは「部族指導者」(実際は違う)のポウハタン酋長の娘であるポカホンタスを人質にとれば、ポウハタン族は屈服するだろうと考え、ポウハタン族に捕らわれたジェームズタウン入植者の身代わりとしてポカホンタスを誘拐した。ジェームズタウンで人質となった彼女の解放条件として侵略者たちがポウハタン族に提示したのは「イギリス人捕虜の解放」「盗まれた武器の返還」「トウモロコシによる多額の賠償の支払い」という条件だった。

洗礼、結婚、そして…

彼らはポカホンタスを通訳として役立てようと、解放の条件として英語を教えた。さらにジェームズタウンにキリスト教教会を2棟作ったアレクサンダー・ウィテカーよりキリスト教の洗礼を受けさせられた。人質だったこの時期に、ポカホンタスはヴァージニアにタバコ会社を設立した白人のジョン・ロルフに目をつけられた。ロルフは妻を亡くし、独り身だった。ロルフは1614年4月5日に彼女と結婚し、マトアカの名を「レベッカ・ロルフ」と変えた。

1616年、彼女と夫ロルフは大英帝国に連れられ、1617年までの間ブレントフォードに住み、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「ネイティブアメリカンの姫」と紹介され、大英帝国にセンセーションを巻き起こした。ポカホンタスは、「新世界アメリカ」の最初の国際的有名人となった。

ロルフはヴァージニアに戻ってタバコ栽培をすることを熱望した。ロルフ一行がジェームズタウンへ帰る船旅の途中イギリスのケント州グレーブゼンドでポカホンタスは病気になり23歳前後で死去した。病気は天然痘・肺炎・結核など資料により異なる。

ポウハタン族とその氏族のひとつマッタポニ族はポカホンタスの死因について、当時の状況から毒殺された形跡を指摘している。ロルフはポカホンタスを妻にしたが、息子のトーマスは彼の実の子ではなかったし、ロルフは病身のポカホンタスにさっさと見切りをつけてイギリスを離れたがっていたとされる[7]。

ポカホンタスの葬式はグレーブゼンドの「聖ジョージ教会」で1617年3月21日に行われた。のちに教会が改装される際に彼女の墓は壊され、現存していない。現在、同教会の敷地には、彼女の銅像が設置されている。ポカホンタスの葬式が終わると、ロルフは幼いトーマスをイギリスに独り残し、単身バージニアに戻り再婚した。

映画でも描かれたあの逸話は…?

ジョン・スミスは『New England Trials』(1622年) および『The Generall Historie』(1624年) を出版し、ここではじめて「ポカホンタスに助けられた」という内容が含まれた手記を発表した。その内容は、「ポウハタン酋長によって百叩きの刑に処せられ、殴り殺されるところだったのを、酋長の娘ポカホンタスが自分に同情して助命嘆願し、これを聞いたポウハタン酋長が刑の執行を止め釈放してくれた」というものである。

当時ポカホンタスはわずか11歳であり、しかもジョン・スミスはその年イングランドから到達したばかりであり、古くからの仲ではなかった。スミスもまだその時はポウハタン語を完全には理解していなかった。彼が「ネイティブアメリカンの娘に助けられた」と主張し始めるのはポカホンタス死後のことである。

歴史家のカミラ・タウンゼンド(Camilla Townsend)は、スミスが「処刑されかけた」としている状況を「単に部族採用式などの儀式のひとつだったのではないか」と説明している。

また「儀式のひとつ」だったとの仮説にしても、歴史家アンジェラ・L・ダニエル・“シルバースター”は、「ポカホンタスは子供であり、子供がそのような式典・儀式に出席することは許されていない」と述べ、この記述を否定している[8]。

ポウハタン族はスミスのこの武勇伝を「全くの作り話」として彼らのウェブサイトで公式に否定している。彼らは「スミスやロルフはポカホンタスを利用し、彼らと友好を結んだポウハタン族を裏切り、食い物にした」と抗議している。

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