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日本で最初のキックボクシングジム目黒藤本ジム藤本勲会長が死去。78歳

日本で最初のキックボクシングジム目黒ジムを受け継いだ目黒藤本ジムの藤本勲会長が5月5日死去した。78歳だった。

更新日: 2020年05月07日

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18年の暮れごろから間質性肺炎を患い入退院を繰り返し、昨年12月8日に主催した新日本キックボクシングの興行で、体調不良もあり引退を宣言、会長職を退いた。そして今年1月30日には54年続いた名門・目黒ジム(99年より目黒藤本ジム)を閉鎖した。

july701さん

藤本 勲(ふじもと いさお、1942年1月24日 - )は、日本のキックボクサー。山口県長門市出身。51戦40勝32KO11敗(生涯戦績)。本名は姓は同じで名が洋司(ようじ)。
1968年、東映映画『ごろつき』に出演。キックボクシングのスパーリングで主演の高倉健をノックアウトするチャンピオンの役であった。他に東洋ミドル級チャンプの沢村忠、東洋ライト級チャンプの西川純、全日本ヘビー級1位の斉藤天心が出演していた。
剛柔流空手二段。

1966年6月、目黒ジムよりプロデビュー。
1969年2月26日、ルンピニー・スタジアムでコクデノイを膝蹴りでKO。
1970年12月、引退。
2010年12月25日、「日本プロスポーツ大賞」のスポーツ功労者として「文科大臣顕彰」を受賞。キックボクシング界では初の受賞となった。

藤本氏は1942年1月24日、山口県出身。剛柔流空手を経てキックボクシングを学び66年、目黒ジムよりプロデビュー。同ジムで劇画『キックの鬼』で主人公になった沢村忠と練習を共にし、日本ヘビー級(67kg級)王座、東洋ミドル級王座を獲得した。
 戦績は51戦40勝(32KO)11敗0分と高いKO率を誇り、ヒザ蹴りが得意でKOを量産したことから”ヒザ蹴りジャックナイフ”の異名をとった。

69年引退後は、目黒ジムの会長代行を行い、99年に会長職。場所を移し目黒藤本ジムと名称を変更した。藤本会長体制となってからは初代新日本キックボクシング協会フェザー級王者の小野寺力をはじめ、石井宏樹、勝次、緑川創、HIROYUKIなど11名のチャンピオンを生み出し名伯楽ぶりを発揮。また石井宏樹は日本人4人目のラジャダムナン・スタジアム王者に輝いた。

2020年1月30日閉鎖

キックボクシング発祥の地であり、日本初のキックボクシングジムとして1966年に生まれた「目黒ジム」(現・目黒藤本ジム=東京都目黒区下目黒1-3-17)が、1月30日(木)に閉鎖されたことが分かった。
 キックボクシングはタイのムエタイをヒントに、ボクシングのプロモーターであった故・野口修が考案した格闘技。1966年1月に日本キックボクシング協会を設立し、同年4月に旗揚げ戦が行われた。この時、目黒ジムからプロデビューし、後にスーパースターとなるのが“真空飛びヒザ蹴り”で一世を風靡した沢村忠である。目黒ジムは富山勝治、西川純、亀谷長保など多くの名チャンピオンを輩出し、初代日本ヘビー級王者・藤本勲が会長職を継いだ後も新妻聡、小野寺力、緑川創、勝次など60人以上のチャンピオンを生み出し続けた。2011年10月には石井宏樹が、ジムとしても長年の悲願であったムエタイの殿堂ラジャダムナンスタジアムの王座に就いた。2019年12月に藤本会長が闘病生活のため会長職から離れ、ジムが今後どうなるのか注目されていたところだった。

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